京都・永観堂:みかえり阿弥陀の伝承と鐘の響きが紡ぐ物語新着!!
京都市左京区に位置する永観堂禅林寺(通称・永観堂)は、平安時代初期の863年、弘法大師(空海)の弟子である真紹(しんじょう)によって創建されました。永観堂は、その美しい紅葉が特に有名で、秋には境内を彩る鮮やかなもみじが訪れる人々を魅了し「モミジの永観堂」として親しまれています。
京都・高台寺:大阪城炎上を見守った時雨亭の伝説を検証してみた
豊臣秀吉の正室である北政所は、秀吉の死後、1605年に京都東山の高台に高台寺を建立し、出家して高台院と名乗りました。徳川家康は寺院の建設に部下を参加させるなど、高台院の活動を積極的に支援しました。表向きは豊臣家の菩提を弔うことが目的とされていましたが、実際には大阪城に集結する豊臣勢力を抑え、京都に高台院を留める狙いがあったのです。家康の策略は見事に成功し、高台院は炎上する大阪城を無言で見つめていたといわれます。
奈良・やまぞえ不動院:山添村で80年ぶりによみがえる除夜の鐘
やまぞえ不動院は様々な活動を通じて、地域の人々にとって大切な拠り所となっています。不動院の古図を元に、お寺の境内整備を進めています。ご住職は「5年毎に一つずつ伽藍を整備する」という計画を立て、鐘楼堂の再建が進められています。
名古屋・本願寺東別院:300年前の鐘と名古屋城の宝探し
1690年(元禄3年)、尾張藩主の徳川光友が古渡城跡の約1万坪を寄進し、1702年(元禄15年)に名古屋別院がこの地に創建されました。古渡城は織田信長の父、信秀が築いたもので名古屋城の築城時にはその跡地に石垣用の石材が一時的に集められたようです。これらの石材には大名の刻印が刻まれているものがあって、お寺の境内や隣接する下茶屋公園では、現在までに29個の石が発見されています。
名古屋・万松寺:名物ショーの開幕を告げる梵鐘
梵鐘単体の評価 名古屋・万松寺:名物ショーの開幕を告げる梵鐘 大須商店街を歩いていると、特に目を引くのが巨大ビジョンと近代的な設備を備えたハイテクな万松寺です。この寺の歴史は古く、織田信長の父・織田信秀が、織田家の菩提寺 […]
奈良・矢田寺:日本最古の地蔵信仰と京都の送り鐘
矢田寺(金剛山寺)は「矢田のお地蔵さん」として広く親しまれており、奈良県の矢田山の中腹に位置しています。この寺院には、日本最古とされる延命地蔵菩薩が安置されており、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。寺院へは大和小泉駅からバスで横山口まで行き、そこから徒歩約20分の山道を登ると到着します。
東京・泉岳寺:赤穂浪士が眠るお寺とヨーロッパのつながり
赤穂浪士と浅野内匠頭の墓があることで有名な泉岳寺を訪れました。江戸時代の泉岳寺は、僧侶が学問に励む学寮として知られ、最盛期には全国から約200名の僧侶が集まっていました。この伝統は今も続いており、毎朝4時30分には座禅の開始を告げる鐘が響いています。
奈良・金峯山寺:藤原道長が詣でた修験道のパワースポット
金峯山寺は「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要構成遺産としてユネスコ世界文化遺産に登録されている寺院です。大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)という非常に厳しい修験道はここ金峯山寺を起点にしています。私は東京から京都を経由し、奈良、橿原神宮を通り過ぎて吉野まで3時間以上かけてやってきましたが、これは修験道のスタート地点に到着したに過ぎません。
奈良・朝護孫子寺:聖徳太子が開いた阪神タイガースの聖地!?
昨シーズンは日本シリーズを制し38年ぶりのAREを成し遂げた阪神タイガース。ペナントレース佳境に入りアレンパが見えてきた9月、信貴山の朝護孫子寺を訪れました。聖徳太子が物部氏と戦争を繰り広げていた8歳の頃、寅年・寅月・寅日・寅刻にこの山で毘沙門天王を感じとり、その勢いで戦争に勝利したと伝えられています。
神奈川・川崎大師:大人気パワースポットに伝わる平和の鐘
今回は毎年300万人が初詣に参拝に訪れる大人気のパワースポットを訪れます。川崎大師は、成田山新勝寺、髙尾山薬王院とともに、真言宗智山派の関東三大本山の一つです。平安時代末期、川崎で漁師をしていた平間兼乗(ひらまかねのり)が海中から仏像を引き揚げました。仏像をきれいに掃除して小さなお堂に安置したのが川崎大師のはじまりと言われています。