
京都・仁和寺:皇室ゆかりの門跡寺院に響く古鐘
京都駅からバスに揺られて小一時間。嵐山方面へ向かう途中に、「御室(おむろ)」というバス停があります。降りて歩けば、すぐに仁和寺の山門が見えてきます。
仁和寺が建立されたのは仁和四年、西暦888年のこと。寺名は元号からそのまま取られています。長い歴史の中で、歴代住職の多くは天皇家から迎えられました。いわゆる「門跡寺院」と呼ばれる、皇室ゆかりの格式高いお寺です。

皇室の拠り所と遅咲きの御室桜
幕末の混乱期には、こんな話も伝わっています。薩長軍に担がれた明治天皇について、万一薩長軍が敗れた場合には、天皇は出家して仁和寺に入ることが想定されていたというのです。つまり仁和寺は、皇室にとって「最後の拠り所」となりうる場所でもあったわけです。

そんな名門寺院にふさわしく、境内の建物や庭園は優美な佇まいで整えられています。世界遺産にも指定されており、訪れる人を雅やかな空気で包み込んでくれます。

仁和寺といえば、なんといっても「御室桜」。中門を入ってすぐ西側一帯に、桜の林が広がっています。この御室桜、遅咲きで背丈の低い桜として知られています。京都の他の桜が散ってしまった4月中旬頃にようやく見頃を迎えるので、お花見の「最後の砦」として人気です。

なぜ背が低いのか。近年までは、桜の下に硬い岩盤があるため、根を地中深く伸ばせず、その結果として背丈が低くなったと言われてきました。御室桜が見ごろを迎える時期には、お寺に入るための行列ができるほどの賑わいになります。
梵鐘しらべ

| 時間 | 不定期 |
| 打数 | ー |
| 前捨て鐘 | ー |
| 実質 | ー |
| 後捨て鐘 | ー |
仁和寺と昭和史 ― 近衛文麿の密談

昭和20年1月25日。仁和寺の近くにある近衛文麿の邸宅「虎山荘」で、ある密談が行われました。近衛の呼びかけで集まったのは、岡田啓介、米内光政、岡本慈航の三名。
話し合いのテーマは、深刻なものでした。その5日前の1月20日、陸軍が中心となって「本土決戦」の方針が正式に決定されていました。しかし海軍出身の米内、そして近衛、岡田は、冷静に戦局を判断していました。敗戦、そして無条件降伏は避けられない ― そう見ていたのです。
そこで議題に上がったのが、天皇の処遇でした。
伝えられるところによれば、その会談では「先の例に倣って」、敗戦前に昭和天皇が出家し、仁和寺で仏門に入る、という案が話し合われたといいます。
「先の例」とは、何を指すのか。冒頭でお話しした、明治天皇のことです。つまり仁和寺は、皇室の危機において「最後の避難所」として、二度にわたって想定された場所だった、ということになります。一度目は幕末、二度目は太平洋戦争末期。歴史の大きな転換点で、この古刹の名前が密かに浮上していたわけです。
梵鐘ものがたり

袴腰式鐘楼に納められた古鐘
境内のいちばん奥、国宝の金堂の左手に、立派な鐘楼があります。入母屋造、本瓦葺。階上の部分は朱塗で、周囲に高欄をめぐらせています。そして下部は「袴腰式」と呼ばれる、袴のような板張りの覆いが特徴的です。優美で堂々とした佇まいで、いかにも仁和寺らしい品格を感じさせる鐘楼です。

仁和寺の梵鐘は、周囲を板で覆われていて、鐘の姿を直接拝むことはできませんが、鐘そのものは文明二年、西暦1470年に鋳造された、五百年以上の歴史を持つ古鐘です。応仁の乱が終わり、お寺全体が再整備された頃に鋳造された鐘ということになります。
アクセス
住所
京都府京都市右京区御室大内33
ホームページ
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
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