東京・品川寺:ヨーロッパを旅した徳川の鐘(重要美術品)
品川寺(ほんせんじ)は旧東海道沿いの小さなお寺で、その寺名が発展して品川という地名が生まれました。本堂に納められている秘仏は弘法大師に由来すると伝えられていて、大きな自然災害時には人々を癒す力があるとされています。また、このお寺にはヨーロッパから日本に戻った梵鐘があり、その出来事をきっかけにした交流は今も続いています。
徳川幕府の展示品としてパリ万博へ
品川寺の梵鐘は、江戸時代末期にパリ万博へ出展されました。梵鐘には徳川三代将軍の名が刻まれていて、江戸幕府を象徴する品として選ばれたと考えられます。パリ万博には薩摩藩も独自に出展する状況だったので、徳川将軍家の権威を示す狙いもあったと思います。ジュネーヴ万博にも出店された後、約50年間行方不明でしたが、スイスの博物館に所蔵されていることが明らかになりました。
梵鐘しらべ
時間 | 大晦日 |
打数 | ー |
前捨て鐘 | ー |
実質 | ー |
後捨て鐘 | ー |
旧東海道の隠れたグルメスポット・魚富士
お寺の目の前を通る旧東海道は宿場町品川の賑わいを感じさせる古いスタイルの街並みが残ります。最近は単独の八百屋さんやお魚屋さんで買い物することも少なくなりました。どうしてもスーパーの方が便利ですよね。
品川寺に行った際はぜひ魚富士さんに寄ってみてください。売っているお魚の大きさと安さに驚くと思います。牡蠣などはその場で捌いてもらって食べることもできる隠れたグルメスポットです。
海外からのお客さんにも人気でいつもたくさんの買い物客でいつも賑やかな、小さな魚市場のようなお店です。
ウエブサイトはこちら魚富士公式HP (uofuji.net)
梵鐘ものがたり
ジュネーヴからの返還と交流
昭和5年(1930年)、仲田順海住職の粘り強い交渉により、60年ぶりに品川寺へ梵鐘が戻されました。この返還がきっかけとなり、品川区とジュネーヴ市は交流を深め、姉妹都市関係を結ぶことに。梵鐘の歴史をたどる道は「ジュネーヴ平和通り」と名付けられ、青物横丁駅からお寺に続いています。この絆は現在も続き、中学生を対象とした交換留学プログラムが実施されています。
地名『品川』のルーツはこのお寺
弘法大師がお寺を作った平安時代、この地は品河氏の所有地であり、その名に因んで品河寺と呼ばれていました。目黒川の河口に位置するこの地域は、江戸時代になると物流の要所として栄え、品物が行き交う川という意味を込めて「品河」から「品川」へと地名が変化しました。
アクセス
住所
東京都品川区南品川3丁目5−17
お寺の鐘しらべ管理人
- 東京在住のサラリーマン
- 梵鐘の愛好家
- 出張先や夜時間に梵活中
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!