京都・三十三間堂:お堂の閉館を告げる夕方の鐘

今回は京都でもトップクラスの観光名所をご紹介します。三十三間堂は、正式には妙法院という天台宗のお寺の飛び地境内にある蓮華王院(れんげおういん)というお堂です。平安時代の末期1164年、平清盛により建立された本堂に1001体の観音像が並ぶ姿は圧巻です。このような千体観音堂はかつていくつか存在しました。三十三間堂の30年前には清盛の父、平忠盛が京都市内に得長寿院という三十三間堂と同規模の観音堂がありましたが、平家滅亡の1185年に地震で失われたそうです。平家の栄枯盛衰を象徴するお寺とも言えますね。三十三間堂は唯一現存する千体観音堂であり、親子二代で千体観音堂を建立した平家の財力がいかに壮大であったかを知ることができます。

仏像は週一のペースで作られた

三十三間堂は1249年に火災で焼失しましたが、その後16年間という驚異的なスピードで再建されました。この火災で残った仏像124体を補うため、877体が新たに作り直されました。7日で1体の仏像を作るペースで復興が進み、その中には運慶や快慶といった著名な仏師たちが参加していました。再建された仏像は1001体すべてが異なる顔立ちを持つ独立した芸術作品になっています。本堂には、仏像を検索できるタッチパネル式モニターが設置されています。このシステムにより、千体観音像の尊名や尊顔を拝見することができます。

東京目黒の五百羅漢寺も数百体の仏像が安置されています。こちらは松雲元慶という仏師が一人で手彫りしたものだそうですが、だいたい7日で1体を完成させたと考えられています。

梵鐘しらべ

時間朝8時20分、夕方17時
打数11打
前捨て鐘
実質11打
後捨て鐘

弓道の聖地としての三十三間堂

お正月の風物詩、京都三十三間堂大的全国大会

三十三間堂では、毎年1月15日に近い日曜日に弓道の大会が開催されます。この大会は「三十三間堂の通し矢」として知られ、正式には「京都三十三間堂大的全国大会」と呼ばれています。全国から弓術に優れた新成人や有段者が集まり、その腕を競い合います。この日は本堂も無料で開放され、多くの人々が訪れる京都のお正月の風物詩となっています。

江戸時代に盛り上がった三十三間堂の通し矢

江戸時代には、三十三間堂の本堂西側の軒下(長さ約120メートル)を南から北に矢を射通す競技が盛んに行われました。各藩の代表が地元の名誉をかけて競技に臨む姿は、まるで現代のオリンピックのようでした。屋根があるため、水平に120メートルもの距離を矢で飛ばすのは非常に難しく、高度な技術が求められたと思います。

野球のホームランも同じくらいの距離ですが、大谷翔平選手の弾丸ホームランが高く上がることで飛距離を稼いでいることを考えると、三十三間堂の通し矢はさらに難易度が高いと言えます。現在でも、軒下には当時の矢が突き刺さっている様子を左の写真のように見ることができます。

梵鐘ものがたり

鐘の音に包まれる境内

境内には広々とした庭が広がり、その一角に鐘楼があります。この梵鐘は、毎日8時20分と17時に鳴らされ、拝観時間の開始と終了を告げる役割を果たしています。本堂の見学を終えた参拝者が夕暮れ時の庭を散策していると、お坊さんが打ち鳴らす梵鐘の音が響き渡ります。訪れていた参拝者たちは驚きとともにその音色に耳を傾けます。この鐘の音が鳴り終わると、三十三間堂の一日の参拝時間が終わります。

広々とした庭で過ごす時間は、静かで心地よいひとときです。

アクセス

住所

京都府京都市東山区三十三間堂廻り657

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

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