高野山・金剛峯寺(1):高野二郎と呼ばれた山岳宗教都市の大鐘

多くの日本人にとって高野詣は遠い存在で、門をくぐる時の感動は道中の苦労を忘れさせてくれます。標高約1,000メートルに位置する山岳地帯に広がる宗教都市は、1,200年もの長い歴史を持ち、多くの信仰を集めてきました。終着駅に近づくにつれ、列車の車窓からは数百年の樹齢を持つ木々が生い茂る森が広がり、日常から離れた異世界へと誘われるような神秘的な景色が見えてきます。大阪を出発する時は賑やかだった満員の車内が静寂に包まれ、乗客の期待とともに緊張感がただよい始めます。

高野山の信仰の中心である奥之院に向かう参道

空海が生き続ける究極の聖地

真言密教のシンボルとして建立された大塔

高野山の歴史は、弘仁10年(819年)、空海によって結界が張られたことに始まります。空海は国家の安泰、世界平和を祈りつつ、真言密教の根本道場を創建するという悲願を抱いて高野山に寺院を開きました。その後、承和2年(835年)3月21日午前4時、永遠の瞑想に入りました。62歳で即身成仏した空海は今も奥之院で生きて瞑想を続けていると信じられています。現代でも毎日朝6時と10時30分、空海に食事を運ぶ儀式が1,200年間一度も欠かさずに続けられています。

梵鐘しらべ

時間4時、13時、17時、21時、23時
打数
前捨て鐘
実質
後捨て鐘

空海伝説のひとつ・金山寺味噌

高野山でのお土産におすすめしたいのが、金山寺味噌です。伝説によれば、空海が唐に渡った際、唐の径山寺(きんざんじ)で味噌の製法を学び、帰国後にこの製法を広めたと伝えられています。現在でも和歌山県が主な産地で、他に千葉県、静岡県などで金山寺味噌が作られています。

梵鐘ものがたり

古代では東大寺の次に大きな鐘だったことから高野二郎と呼ばれた

日本で二番目に大きな「高野二郎」

高野山には、信仰と歴史が刻まれた二つの梵鐘があります。壇上伽藍の大塔の鐘は、高野山の諸堂が整備された平安時代初期850年頃に完成したものと考えられています。その後の火災により幾度が改鋳されてきました。高野山焼失期によると「永正十八年 大塔鐘楼、鐘三分一湯成消」と記述があります。おそらく焼け残った三分一を参考に、平安初期のデザインを忠実にコピーしたものが現在の鐘です。天文16年(1547年)に完成したもので、直径2.12メートル、重さ34トンの大鐘です。その大きさから古来より「高野二郎」と呼ばれて親しまれてきました。

空海がこの地を選ぶきっかけとなった「三鈷の松」

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

高野山はユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成遺産で、高野山と熊野本宮を結ぶ熊野古道小辺路(こへち)の出発点となっています。距離70キロで修験道としては短いルートですが、大峯奥馳道と同じくらい険しい山越えの道のりと言われています。かつての巡礼者の足跡を感じることができ、現代でも多くの登山者や巡礼者がこの古道を歩んでいます。

高野山への訪問は、単なる観光ではなく、深い歴史と信仰に触れる旅になることでしょう。

二木島峠道・逢神坂峠道

アクセス

住所

和歌山県伊都郡高野町高野山132

ホームページ

https://www.koyasan.or.jp/

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

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