奈良・金峯山寺:藤原道長が詣でた修験道のパワースポット

近鉄吉野駅は奈良県の中央部に位置しています。東京から行く場合、まず京都駅から奈良方面へ向かい、約1時間で奈良駅に到着します。そこからさらに約1時間で橿原神宮駅に着きます。さらにもう1時間南へ進むと吉野駅に到着します。東京からの距離を考えると、吉野駅にたどり着くだけでもかなり遠く感じますが、金峯山寺はまだ先です。吉野駅からはロープウェイに乗り換え、そこから20分ほど山道を進むとようやく金峯山寺が見えてきます。

金峯山寺の最寄り駅は近鉄吉野

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の出発点

たくさんの修験者に会うことができる

金峯山寺は「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要構成遺産としてユネスコ世界文化遺産に登録されている寺院です。いわゆる熊野古道のひとつ非常に厳しい修験道の大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)ここ金峯山寺を起点にしています。京都を経由から奈良、橿原神宮を通り過ぎて吉野まで3時間以上かかりましたが、これは修験道のスタート地点に過ぎません。修験者の旅はここから約1週間かけて170キロ先の熊野本宮大社を目指してこの道を進みます。

後醍醐天皇が南朝を構えた南朝妙法殿

金峯山寺から24キロ進んだところに大峯山寺があります。修験道の1日目はここで宿泊します。大峯山寺はもともと金峯山寺の本堂として扱われていました。つまり金峯山寺とはこの吉野山一帯がすべてお寺の領域でとてつもない広大な領域に及んでいました。

修験道の開祖 役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)

修験道を創始したのは、634年に生まれた役行者(えんのぎょうじゃ)こと小角(おづぬ)です。彼の生涯には謎が多いものの、実在の人物とされています。伝説によれば、彼は呪術の力で鬼神を操り、朝廷の儀式にも関わっていました。しかし、その力を恐れられ、35歳のときに無実の罪で伊豆へ流されます。その後、金峯山で修行中に金剛蔵王権現を出現させたと伝えられています。

鬼神を従えた謎の呪術師・小角

修験道は仏教を基盤にしていますが、自然崇拝、陰陽道、そして精神的修行が一体となった独特の教えです。金峯山寺の本尊である3体の蔵王権現は、高さ7メートル、青い身体という非常に珍しい像で、修験道の独自性を象徴しています。

梵鐘しらべ

時間毎日10時50分
打数
前捨て鐘
実質
後捨て鐘

奈良国立博物館で特別公開中

金峯山寺の北側に建つ国宝・仁王門は現在、解体修理中でその姿を見ることができません。しかし、仁王門の左右に安置されている重要文化財 木造金剛力士立像は、令和3年2月23日から奈良国立博物館で特別公開されています。この金剛力士像は像高5メートルに達する巨像です。

高さ5メートルを超える金剛力士像を博物館に運び入れる際、入口が約2メートルと低かったため、像を横にしてようやく搬入できたそうです。運搬を開始してから博物館で設置が完了するまでは2か月におよぶ難作業でした。

仁王門の修理は令和10年度の完成を予定しており、博物館で間近に見られる機会はとても貴重です。展示はあと2年ほど続く予定です。

梵鐘ものがたり

ロープウェイは15分間隔で運行

平安時代から伝わる金峯山寺の鐘楼

金峯山寺の梵鐘は毎日10時50分に打鐘され、蔵王堂の西側に建つ鐘楼に収められています。この鐘は、法要の合図として鳴らされ、修験者たちが集まる目印となります。鐘楼の建築年代は不明ですが、文永元年(1264年)に落雷によって焼失した記録があります。おそらく初代の鐘楼は平安時代に建てられ、梵鐘もその時期に作られたと考えられます。

黒門をくぐると参道沿いにお店が並ぶ

吉野三郎と呼ばれた大鐘

金峯山にはもうひとつ有名な梵鐘があります。これは明治8年に廃寺となった世尊寺の鐘で、吉野三郎と呼ばれてきました。高さ2メートルを超えるこの大鐘は、東大寺の南都太郎、金剛峯寺の高野二郎に次ぐ大鐘とされています。鐘は保延6年(1140年)に平忠盛が寄進し、その後、永暦元年(1160年)と寛永3年(1245年)に改鋳されています。現在残っているのは740年前の鐘です。

金剛力士像は写真撮影OK

藤原家の運命をかけた御岳詣(みたけもうで)

平安時代、藤原道長は金峯山寺を訪れ、娘・彰子が男児を授かるよう祈願しました。このエピソードはNHK大河ドラマ『光る君へ』の第35話「中宮の涙」で取り上げられました。道長は平安京から金峯山寺まで13日間かけて往復したとされ、その距離は約100キロメートル。道が整備されていなかった当時、この旅は相当な苦行だったことでしょう。道長は出発前に約3ヶ月間、肉や酒を断つの清めの儀式を行い、準備を整えました。御岳詣のことは藤原道長の日記(御堂関白記)に詳しく記されています。吉野に到着すると最初に水分神社(みくまりじんじゃ)に参拝しました。「みくまり」は「御子守り」と読み換えられることから、子宝祈願が主な目的だったと考えられています。

紺紙金字法華経断簡 藤原道長筆(慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション))

道長が奉納した経筒や経文は現在も京都国立博物館に保存されています。道長の祈りが通じたのか、彰子はめでたく後一条天皇、後朱雀天皇を生むこととなり、藤原家はさらなる繁栄を迎えます。

アクセス

住所

奈良県吉野郡吉野町吉野山2498

ホームページ

http://www.kinpusen.or.jp/

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

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