東京・品川寺:ヨーロッパを旅した徳川の鐘(重要美術品)

品川寺(ほんせんじ)は、東京都品川区に位置し、平安時代前期に開創された歴史ある寺院です。旧東海道沿いにあり、その名前が発展して「品川」という地名が生まれました。品川寺には弘法大師ゆかりの水月観音が祀られていて、特に大きな自然災害時に癒しを与える秘仏として信仰されています。また、江戸時代には四代将軍・徳川家綱の庇護のもと、寺領4800坪が与えられ、一大伽藍が整備されました。

歌川広重:東海道五十三次・品川(東京国立博物館A-10594)

徳川幕府の展示品としてパリ万博へ

品川寺の大梵鐘は、明暦3年(1657年)に徳川三代将軍、家康、秀忠、家光の供養のために京都で鋳造されました。四代将軍・徳川家綱の寄進によって、品川寺に納められました。この鐘は、東照宮、台徳院殿、大猷院殿の号を刻むとともに、観音像や観音経が陰刻され、「武蔵風土記」や「江戸名所図絵」にも『世にもまれなる梵鐘』と記されています。

1900年パリ万博日本館パビリオン(高岡市立博物館保管)

この鐘は幕末に海外に流出しました。1867年のパリ万博、1873年のウィーン万博に展示され、その後行方不明となってしまいます。薩摩藩なども参加したパリ万博にこの梵鐘が出展された背景には、徳川将軍家を象徴する品として幕府の権威を示す意図があったと考えられます。

梵鐘しらべ

時間大晦日 
打数
前捨て鐘
実質
後捨て鐘

旧東海道の隠れたグルメスポット・魚富士

お寺の目の前を通る旧東海道は宿場町品川の賑わいを感じさせる古いスタイルの街並みが残ります。最近は単独の八百屋さんやお魚屋さんで買い物することも少なくなりました。どうしてもスーパーの方が便利ですよね。

品川寺に行った際はぜひ魚富士さんに寄ってみてください。売っているお魚の大きさと安さに驚くと思います。牡蠣などはその場で捌いてもらって食べることもできる隠れたグルメスポットです。

海外からのお客さんにも人気でいつもたくさんの買い物客でいつも賑やかな、小さな魚市場のようなお店です。

ウエブサイトはこちら魚富士公式HP (uofuji.net)

梵鐘ものがたり

東照宮、台徳院殿、大猷院殿の号を刻む

ジュネーヴからの返還と交流

大正8年(1919年)、文部省学芸部長の石丸優三がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館でこの鐘を発見し、品川寺に返還する交渉が始まりました。外務大臣・幣原喜重郎や多くの人々の尽力によって、昭和5年(1930年)、ジュネーヴ市はこの鐘を日本に返還することに同意しました。返礼として品川寺からアリアナ美術館に石灯籠が贈られ、現在も友好の象徴として残されています。

アメリカ国立公文書館 306-NT-1154-B-18

地名『品川』のルーツはこのお寺

品川寺の梵鐘は「洋行帰りの鐘」として親しまれ、鐘が戻った際の歓迎会には、当時の大臣やスイスの駐日公使をはじめ、多くの人々が参加しました。また、この鐘を縁として品川区とジュネーヴ市の交流が始まり、平成元年には返還60周年を記念して、品川寺から再びジュネーヴ市に梵鐘が寄贈され、両市は友好都市となりました。

現在、品川寺の大晦日には、この「洋行帰りの鐘」をつく人々が訪れ、「縁を取り持つ鐘」としての役割も広く知られています。鐘の海外への旅と帰還の物語は、両市の交流を深め続ける象徴となっています。

アクセス

住所

 東京都品川区南品川3丁目5−17

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!

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