京都・大雲院:八坂の新名所『銅閣寺』と祇園社の鐘

京都でも屈指のフォトスポット『八坂の塔』の近くにもう一つ気になる塔を見たことありませんか?お寺のようですが、建物は非常に近代的で独特な様式をしています。 

この塔は、大倉財閥を築いた大倉喜八郎が建てたものです。喜八郎は明治維新から大正期にかけて、政府や軍部の物資調達を基盤に一代で財閥を築きました。晩年を過ごすため、眞葛が原と呼ばれるこのエリアに別荘「眞葛荘」を建て、そのシンボルとして塔を1928年に完成させました。しかし、喜八郎はその年に90歳で亡くなり、完成した塔を見ることはありませんでした。

入口に掲げられた「祇園閣」の文字は西園寺公望が揮毫したもの

京都の新名所を目指して作られた祇園閣

眞葛荘は1973年、大雲院の移転に伴い寺院として再編されました。大雲院はもともと1587年に織田信長・信忠を供養するために建立された菩提寺です。もとは高島屋付近にありましたが、繁華街化に伴い眞葛荘の地へ移転しました。寺院名は、信忠の法号「大雲院殿三品羽林仙厳大居士」に由来しています。

大雲院400年を記念して描かれた敦煌壁画の模写

眞葛荘のシンボルである塔は「祇園閣」と名付けられ、祇園祭の鉾をイメージした建築で、伊藤忠太が設計しました。三層構造で高さは36メートル、屋根は銅板葺きです。京都の新名所として、金閣、銀閣に並んで「銅閣」と呼ばれることを期待されていますが、まだ広く定着していません。内部には敦煌の壁画が模写されています。祇園閣は現在、国の登録有形文化財に指定されています。

梵鐘しらべ

時間不明
打数
前捨て鐘
実質
後捨て鐘

京都・大阪が一望できる祇園閣

大雲院の隣には高台寺があります。高台寺は豊臣秀吉の正室、ねねが建てたお寺で、彼女の晩年の住処でした。伝説によれば、大阪夏の陣で炎上する大阪城を高台寺の時雨亭から見守ったとされています。祇園閣の三階に上ると大阪城は確認できませんでしたが、あべのハルカスははっきり見ることができました。時雨亭は祇園閣よりも高い位置にあるため、夜空を赤く染める炎上する大阪城を目撃できた可能性があります。

詳しくはこちらをご覧ください。【京都・高台寺】大阪城炎上を見守った時雨亭の伝説を検証してみた

梵鐘ものがたり

北野天満宮から移設された鐘楼

神仏分離令により移設された鐘楼と梵鐘

大雲院の境内に入ると左手に鐘楼があります。この鐘楼は、1871年に北野天満宮から移設されたもので、もともとは豊臣秀頼が寄進したと伝えられています。また、鐘はもともと八坂神社(旧祇園感神院)にあったもので、1490年(延徳二年)の銘が刻まれています。鐘楼と同じく1971年の神仏分離令により八坂神社から大雲院へ移されました。

アクセス

住所

京都府京都市東山区祇園町南側594−1

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
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  • 出張先や夜時間に梵活中

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    京都・大雲院:八坂の新名所『銅閣寺』と祇園社の鐘” に対して1件のコメントがあります。

    1. Adriana Wolma より:

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