京都
京都・岩船寺:仏教の聖地・南山城を歩く新着!!
この地域に点在する平安・鎌倉期の古刹や、摩崖仏などの石仏信仰の名残は今も往時の面影をとどめています。霊験あらたかな石像群を巡るハイキングコースも人気です。すでに紹介した浄瑠璃寺、笠置寺、そして今後ご紹介予定の海住山寺と並び、この岩船寺も南山城の魅力を語るうえで欠かせない一寺です。
京都・和束町:茶畑の里に響く廃寺の鐘
京都府南部、和束町(わづかちょう)は京都最大の茶の産地です。一帯に広がる茶畑は美しい山里の風景をつくり出し、その中でも石寺(いしでら)地区は茶畑と山並みが織りなす風景が評価され、京都府景観資産の第1号に指定されています。今回は宇治茶の歴史とともに育まれてきた石寺集落に伝わる600年前の梵鐘を紹介します。
京都・浄瑠璃寺:仏教の聖地、南山城に伝わる晩鐘
浄瑠璃寺の象徴は、西側の本堂に安置された九体の阿弥陀如来像。これらはすべて平安時代に造られたもので、建物とあわせて国宝に指定されています。同様の形式を伝えるものとしては、江戸時代に造られた東京・九品仏浄真寺の九体阿弥陀像が知られていますが、平安時代のものが完全な形で残るのは浄瑠璃寺だけです。
京都・光明寺:蔦重が走る大河ドラマのロケ地
2025年放映中の大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』のロケ地としても注目を集めています。第1話で物議を醸した、死んだ女郎が棄てられるシーンは、この光明寺で撮影されました。横浜流星さんと小芝風花さんの心の支えだった朝顔姉さんの死がドラマの重要な転機となります。
京都・六角堂:聖徳太子ゆかりの地といけばな発祥の寺
六角堂には「池」があったことから、お寺の住職は「池坊(いけのぼう)」と呼ばれるようになりました。そして、池坊家はいけばな(華道)の発祥の地とされ、代々、六角堂の住職を務めながら家元を継承しています。今日でも池坊は華道の中心として広く知られています。
京都・南禅寺:五右衛門伝説と近代遺産が彩る禅の古刹
見どころの多い南禅寺ですが、特に三門と石川五右衛門のエピソードが思い浮かぶ方は多いのではないでしょうか。歌舞伎『楼門五三桐』という演目で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と称えた場面が描かれています。しかし、五右衛門が生きていた時代は三門が消失していた時期にあたるためこのエピソードは創作とされています。いずれにしても、拝観料を支払えば三門の上に登って五右衛門の気分に浸ることができます。
京都・建仁寺:祇園にたたずむ京都最古の禅寺
建仁寺は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家によって創建された京都で最も古い禅寺です。格式高そうな飲食店が並ぶ花見小路通りに面していて、忠臣蔵で有名な一力茶屋なんかも近くにあって京都の風情が最も感じられる人気スポットです。
京都・本圀寺:加藤清正ゆかりの開運スポット!
鎌倉時代、日蓮が鎌倉の松葉ヶ谷に創建した寺が本圀寺の起源とされています。室町時代になると、足利尊氏の姉の子である日静がお寺の住職となり、室町幕府の支援を受けて京都へ移転しました。京都の本圀寺には400年前に豊臣秀吉の姉から寄進された梵鐘が残されています。あのドラマで有名な水戸黄門は、梵鐘に刻まれた「大光山・本圀寺」にちなんで「光圀」と名乗ったと言われています。
京都・寂光寺:本因坊の歴史を伝える囲碁の聖地
室町時代の僧・算砂(さんさ)は、囲碁の名人でした。やがて名声が高まるにつれて、寂光寺にちなみ「本因坊・算砂」と呼ばれるようになり、囲碁の家元としてこの称号が定着しました。第一世本因坊・算砂は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の囲碁指南役を務め、日本に囲碁を広めるきっかけを作りました。それ以降、「本因坊」は囲碁の最高称号として現代まで受け継がれています。
京都・智積院:大書院の障壁画と「ありがた山の寒がらす」
大書院と向かいの庭園は、大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の第一話に登場しました。横浜流星さんが演じる蔦屋重三郎が吉原の窮地を救うためにアポなしで老中・田沼意次と直談判する重要な局面のロケ地となりました。「ありがた山の寒がらすにございます!」の名セリフはここから生まれました。偶然ですが上の写真を撮影したちょうどこの位置が、横浜流星さんが渡辺謙さんと対峙したポイントです。