梵鐘単体の評価
東京・浅草寺:松尾芭蕉が詠んだ江戸の鐘(指定文化財)
浅草寺は飛鳥時代に建てられた寺院で、都内でも最も古い歴史をもっています。お寺の中心には本堂や五重塔など多くの伝統的な建築物があり、お寺のに続く仲見世通りでは様々なお土産や和菓子、食べ物などが楽しめます。東京を代表する人気スポットとして毎日たくさんの参拝者で賑わいます。
インバウンドから圧倒的な支持
日本の人気観光地ランキングで必ず上位の浅草寺ですが、特に有名な雷門は人気を象徴するスポットだと思います。私も海外からのお客様を東京案内するときはとりあえず浅草と渋谷です。この大きな提灯(ちょうちん)は京都で作られていて10年ごとに新調されるそうです。重さ700キロ、横幅3.3メートルもあるため高速道路を走ることができず、京都から東京まで一般道路を2日間かけて運ばれるそうです。
梵鐘しらべ
時間 | 朝6時 |
打数 | 8打 |
前捨て鐘 | 2打 |
実質 | 6打 |
後捨て鐘 | ー |
浅草寺「鐘役」の年収はいくら?
浅草寺の鐘は、江戸の町に時間を知らせる重要な役目を果たしていました。江戸では「時の鐘」が町内を順番にリレー方式で鳴らされて、例えば、上野寛永寺の鐘が鳴り終わると、浅草寺がその時間の鐘を撞き、次は深川の鐘へとバトンが渡されるというシステムがありました。
浅草寺で梵鐘を撞く役割を担う人は「鐘役」と呼ばれていたそうです。「時の鐘」は約2時間ごとに鳴らさなければならなかったため、鐘役は基本的に常にその場にいる必要があり、「鐘役」は専業の仕事だったと考えられます。この職は重要視されていたようで、報酬も比較的高かったようです。浅草寺に残された文書によると、鐘役の月給は壱両三分(1.75両)、盆暮れの手当てが弐拾両(20両)で、その他に玄米が大の月は九斗三升(約140キロ)、小の月は八斗九升九合(約134キロ)支給されていました。
年間の現金収入は61両、玄米の支給量は合計約1.6トンとなります。江戸中期における一両は現在の価値でおよそ5万円、お米は1キロ約1,000円と換算すると、鐘役の年収は約465万円ほどになる計算です。ただし、江戸時代のお米は今より価値が高かったと思うので、もしかすると年収1000万円くらいの感覚だったかもしれません。
梵鐘ものがたり
地元のコミュニティーを支える朝6時の鐘
梵鐘は本堂から少し離れた小高い丘、弁天山に位置しています。日中は多くの人で賑わいますが、朝6時の鐘の響きは早朝の静寂をより引き立ててくれます。都会だけあって、この時間帯にも20人くらい地元の人々が日課として梵鐘の音を聴きに来ています。彼らはほとんどが顔見知りで、日常の小さな会話を交わしながら、共に鐘の音を楽しんでいます。「最近〇〇さんを見かけないね」「元気かな?」といった言葉が、朝の静寂の中で心温まる交流を生んでいます。このささやかな日常は、毎朝お坊さんによる鐘の打ち鳴らしによって支えられています。
花の雲 鐘は上野か 浅草か
浅草寺にある梵鐘は、300年前に将軍徳川綱吉の命で製造されました。この鐘は、以来江戸の市民に時を告げる存在として親しまれ続けています。現代においても、小さく2回、その後に6回鳴らす打鐘の方式は、6時を告げる江戸時代からの伝統を踏襲しています。近隣に住んでいた松尾芭蕉は、名高い俳句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」を残しました。この句は、浅草寺の鐘が江戸市民の生活の一部であったことを物語っています。
浅草寺はまた、東京スカイツリーや浅草周辺の他の観光スポットへのアクセスも良好であり、観光客にとって便利な立地にあります。寺院自体の歴史や美しさだけでなく、周辺の賑やかな雰囲気や観光地へのアクセスの良さからも、多くの人々に愛される場所となっています。
アクセス
住所
東京都台東区浅草2丁目3−1
お寺の鐘しらべ管理人
- 東京在住のサラリーマン
- 梵鐘の愛好家
- 出張先や夜時間に梵活中
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!