奈良・新薬師寺:鬼の爪痕が残るミステリースポット(重要文化財)
奈良県のならまちエリアには、古都の美しい町並みが今も残ります。世界遺産の元興寺から小路を進むと、新薬師寺にたどり着きます。新薬師寺は奈良時代から続く伝統的な仏教寺院で、多くの国宝を有する一方、鬼退治伝説が語り継がれるミステリアスな寺でもあります。
古い町並みにたたずむ穴場スポット
新薬師寺という名前から、同じ奈良県にある薬師寺との関連が想像されがちですが、実際には東大寺との縁が深いお寺です。毎年4月8日に行われる修二会(しゅにえ)の「お水取り」は、東大寺から派遣された12人の僧侶によって執り行われます。この12人の僧侶のうち1名は、新薬師寺の僧侶が務めるのが習わしです。このように、東大寺と新薬師寺は深いつながりを持ち続けています。
国宝の薬師如来坐像
新薬師寺の創建は747年頃で、東大寺の大仏建立とほぼ同じ時期にあたります。奈良時代に建てられた本堂には、国宝に指定された薬師如来坐像や十二神将立像が安置されており、寺の規模は小さいものの、貴重な文化財が数多く残されています。
重要文化財に指定された鐘楼と梵鐘
その中でも特に注目すべきは、新薬師寺の梵鐘です。奈良時代に作られたこの古代の鐘は、国の重要文化財に指定されていて、通常は非公開の鐘楼の中に保存されています。鎌倉時代に建てられた鐘楼も重要文化財で、白い袴腰が印象的な建築物です。
鎌倉時代に建てられた鐘楼
梵鐘しらべ
鐘楼の二階から撮影した梵鐘
時間 | 4月8日(修二会)、12月31日 |
打数 | ー |
前捨て鐘 | ー |
実質 | ー |
後捨て鐘 | ー |
ミステリアスな地名「不審ヶ辻子町」
平安時代に編纂された『日本霊異記』には、新薬師寺の梵鐘にまつわる鬼退治の伝説が記されています。現在の奈良ホテル付近にあった鬼隠山(ぎおんざん)には、罪人が鬼として蘇ったという伝承があり、その鬼が元興寺に現れ、子供の僧を襲う事件が起こりました。これに対抗して、道場法師という武芸に優れた僧が鬼と戦い、激闘は深夜から朝まで続きました。道場法師は逃げる鬼を追いかけたものの、まさに不審者である鬼を途中で見失ってしまいました。その場所は今も「不審ケ辻子町」という地名が残っています。「不審ケ辻子町」は「藤井ケ辻子町」と言い換えられ、人気アニメ「鬼滅の刃」で鬼が藤棚を嫌うエピソードはこの昔話に結び付いています。その後のいきさつは不明ですが、いつしか元興寺には梵鐘が無くなり、新薬師寺にある梵鐘は元興寺から伝わったとも言われています。新薬師寺の梵鐘には鬼の爪痕が残されていて、道場法師との死闘を今に伝えています。
梵鐘ものがたり
梵鐘を打鍾するご住職の中田定観様
日本最古級の梵鐘
この梵鐘には銘文が刻まれていないため、製造時期の特定は困難ですが、その形状や撞座(つきざ)の位置などから、奈良時代中期に作られたと考えられています。特に、興福寺の国宝梵鐘との類似が指摘されており、興福寺の梵鐘が727年に作られたことから、新薬師寺の梵鐘も同じ職人によって造られた可能性が高いとされています。これは、日本で最も古い梵鐘のうちのひとつと考えられます。
国宝 新薬師寺本堂(奈良時代)
まるでプラネタリウムのような梵鐘
鐘楼の中から見上げると、1300年の時を経た梵鐘の青銅が深い緑色に変わり、その色合いは宇宙的な神秘性を漂わせています。この鐘の響きは、宇宙の広がりに吸い込まれるような感覚をもたらし、訪れる人々に深い感銘を与えます。新薬師寺の梵鐘は、ただの仏教文化財に留まらず、宇宙的な時間と空間を感じさせる特別な存在です。
松明が掲げられる東大寺・二月堂の欄干
その歴史的背景やミステリアスなエピソードから、新薬師寺の梵鐘は奈良の秘宝として多くの人々を魅了しています。
アクセス
住所
奈良県奈良市高畑町1352
お寺の鐘しらべ管理人
- 東京在住のサラリーマン
- 梵鐘の愛好家
- 出張先や夜時間に梵活中
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