東京・泉岳寺:赤穂浪士が眠るお寺とヨーロッパのつながり

赤穂浪士と浅野内匠頭の墓があることで有名な泉岳寺を訪れました。江戸時代の泉岳寺は僧侶が学問に励む学寮として知られ、最盛期には全国から約200名の僧侶が集まっていたそうです。自己研鑽の場としての伝統は今も続いていて、毎朝4時30分に座禅の開始を告げる鐘が響きます。

江戸時代中期に起きた赤穂浪士の物語は歌舞伎や浄瑠璃で大人気となり、現代でもテレビや映画で頻繁に取り上げられる人気のテーマです。たくさんのエピソードが盛り込まれたストーリの中にはドラマを盛り上げるために創作されたものもあって、今では事実と創作の境界が曖昧になっているものも少なくありません。

ここでは赤穂浪士にまつわるエピソードの中から、お気に入りを三つ選んでみました。

切腹を待つ浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の心中

元禄14年(1701年)3月14日午前11時30分ごろ、赤穂藩主・浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)は江戸城内で吉良上野介(きら こうずけのすけ)に斬りかかり、負傷させました。浅野は幕府の命令で新橋の田村右京太夫の屋敷に移され、同日18時ごろに切腹させられます。江戸城内で刀を抜けば死罪にあたることを、浅野ももちろん知っていたはずです。それでも斬りかかるに至ったのは、吉良に対する強い恨みや耐え難い思いがあったのでしょう。

忠雄義臣録第三(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースarcUP1304)

切腹の命令を待つ間、浅野は田村に「吉良の容体はどうか」と尋ねました。田村は「重傷のようで、手の施しようがないでしょう」と答えます。吉良の傷は軽いものでしたが浅野に気配りした回答だったのでしょう。浅野は、吉良を討ち果たしたと思いながら切腹に臨むことができたと言われています。。

祇園・一力茶屋での座敷遊び

江戸幕府の処分に不満を持つ赤穂浪士が吉良邸に討ち入りするのではないかという噂が広がり、幕府も赤穂浪士に対して警戒を強めました。特に赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助(おおいし くらのすけ)はリーダー格として目をつけられ、幕府から監視されていました。

一力亭のロゴは「万」に見えます

大石は京都・山科で隠居生活を送っているように見せかけていましたが、実際には密かに江戸の赤穂浪士と連絡を取り合い、討ち入りの計画を進めていました。世間や幕府の目を欺くため、大石は京都の料亭で派手に遊び回っていたのです。ドラマでは祇園の「一力亭」が登場します。実際にはこの時代「一力亭」は存在していなかったようです。大石が通っていたのは伏見にあった「笹屋」や「萬屋(よろずや)」といったお店だそうです。この「萬屋」の「萬(万)」が転じて、歌舞伎や浄瑠璃では「一力」という架空の名前が使われるようになり、その後、祇園の「萬屋」が「一力」となったとされています。

江戸庶民からも支えられた赤穂浪士

いっぽうの吉良上野介には何の処罰も下されませんでした。この決定について赤穂浪士はもちろん、他藩の武士や江戸の庶民も不満を抱き、赤穂浪士に同情的な声が広がっていました。

忠雄義臣録第十二(ボストン美術館11.42944)

吉良も自らの不人気を感じ取ったのか、浅野が切腹して10日後には幕府の役職を辞任。その後、江戸城から離れた小さな屋敷に移り、家督を息子に譲って隠居に追い込まれました。そして浅野切腹から約1年後、元禄15年(1702年)12月14日午前4時ごろ、赤穂浪士はついに吉良邸に討ち入りを決行します。

東都名所日本橋雪(国立国会図書館10.11501/1302096)

隣家である土屋家では異様な気配を感じ、屋敷の屋根から様子を伺っていました。赤穂浪士の片岡源五右衛門と小野寺十内が「仇討ちである」と告げると、土屋家はまるで討ち入りを応援するかのように、高提灯の数を増やして照らしたと伝えられています。

梵鐘しらべ

時間4時30分、17時
打数20
前捨て鐘
実質18
後捨て鐘2

梵鐘ものがたり

オリジナルの梵鐘はウィーン世界博物館へ

いま鐘楼に釣られていて毎日使われている梵鐘は、大正二年に新しく作られたものです。

それ以前に使われていた鐘はウィーン世界博物館で所蔵されています。泉岳寺の鐘がヨーロッパに渡った経緯は分かっていませんが、曹洞宗全書第15巻に当時の鐘の銘文が残されていました。それによると享保4年(1719年)に作られたものと思われます。ただしそこにも「再鋳(元の鐘を溶かして作り直すこと)」と書いてあるので、このお寺ができた江戸時代初期から梵鐘があって、1701年の赤穂事件をきっかけに新調したのかもしれません。

ウィーン世界博物館(元国立民族学博物館)のウエブサイト

アクセス

住所

東京都港区高輪2丁目11−1

ホームページ

http://www.sengakuji.or.jp/

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

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