古代の鬼退治伝説と痕跡の証拠写真
第一部:古代の梵鐘とその特徴
新薬師寺の梵鐘は、日本の歴史に文字通りその痕跡を刻んでいます。天平時代の初期に誕生したこの梵鐘は、まさに日本の鐘づくりの歴史の端緒と言えるものです。当時の梵鐘には、撞座(つきざ)と呼ばれる打鐘ターゲットの位置が高いという特徴がありました。また、頭頂部の突起である竜頭が横を向いており、これは後の時代とは90度異なる方向で作られています。平安時代以降、鐘の響きを良くするために撞座が低くなり、鐘の揺れに合わせて竜頭の方向が修正されていきました。この特徴を持つのは日本最古の妙心寺鍾、観世音寺鍾、興福寺鍾など国宝指定になっています。同じ特徴を持つ新薬師寺の梵鐘も来歴が明らかになれば国宝になり得る逸品と言えるでしょう。
第二部: 来歴の謎と元興寺の伝説
新薬師寺の梵鐘の来歴にまつわる一つの興味深い話が、元興寺からの移設説です。元興寺は世界遺産に指定された有力寺院で、新薬師寺とは1.5キロほどの距離です。平安時代の日本霊異記には、道場法師と呼ばれるお坊さんが鬼との対決に挑む壮大な物語が描かれています。その対決の舞台が、まさに元興寺の鐘楼だったのです。
伝説によれば、鬼は激しい戦いの末に元興寺から逃れ、その途中で新薬師寺の方に向かったとされています。現在の不審ヶ辻子町という地名は、道場法師がこの辺りで鬼を見失ったことに由来しています。当時、新薬師寺・元興寺の両寺はたとえば東大寺のような規模の大寺院であり、お互いの広大な境内は接していた可能性があります。そして、新薬師寺の梵鐘には表面にスリ傷が見られます。これは元興寺で使用されていた梵鐘が、何らかの理由で1.5キロもの距離を移動し、新薬師寺に移設された際にできたものかもしれません。現代の元興寺には鐘楼・梵鐘は残されていません。
第三部: 伝説の証言と梵鐘の謎
この新薬師寺の梵鐘の謎めいた来歴に関する話は、伝説と歴史が交錯する興味深いものです。その伝説の中には、道場法師の鬼退治の壮絶な戦いがあり、鬼が辿り着いた先が新薬師寺である可能性が示唆されています。また、梵鐘に残るスリ傷は、移設の過程や鬼との戦いの中で生まれたものかもしれません。
新薬師寺の本堂が国宝の薬師如来坐像を本尊として祀り、その周囲に国宝の十二神将立像が配置されている構造は、仏教の信仰や宗教的な意味合いに加えて、鬼退治伝説と結びついている可能性があります。仏教の守護神である神将が本堂内に揃っていることで、堂内には邪悪なものが寄り付かず、鬼を退散させる力を持つと信じられ、鬼が憑いた梵鐘を払う場所としてふさわしいとされ、鬼退治伝説の終着点となったのではないでしょうか。
お寺の鐘しらべ管理人
- 東京在住のサラリーマン
- 梵鐘の愛好家
- 出張先や夜時間に梵活中
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
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