幕末の「梵鐘鋳潰令」―もうひとつの金属回収令
お寺の梵鐘といえば、太平洋戦争の際に多くの鐘が「金属回収令」によって失われたことは、みなさんご存じだと思います。国家総動員法に基づいて物資を確保する目的で昭和16年8月に公布されました。しかし、それより約100年くらい前の幕末に、外国との戦争に備えるため「梵鐘鋳潰令(ぼんしょうちゅうかいれい)」が公告されました。

安政雑記三(内閣文書 和31731)
この「梵鐘鋳潰令」が公告されたのは、幕末の1854年(嘉正7年)のことです。その前年、アメリカから黒船がやってきて、江戸幕府は開国を迫られました。その結果、歴史の授業でもおなじみの日米和親条約が結ばれています。

ペリー来航図(ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースLOC00453)
アメリカとの軍事力の差を目の当たりにした江戸幕府と朝廷は、ただちに軍備を整える行動に出ます。それがこの「梵鐘鋳潰令」です。日本の海防安全を目的とし、全国の寺院から梵鐘を回収して大砲や小銃を鋳造するためのものでした。ただし、古くからの名器や時報の鐘は保護されて回収対象から除外されました。

全国の寺院から集められた梵鐘は潰され、大砲として生まれ変わりました。こうして作られた大砲は、お台場や長崎の砲台に設置され、墨夷(アメリカ)や魯夷(ロシア)の脅威に備えました。しかし、天然資源を輸入に頼る日本は、いざ有事となると物資不足に険りやすいという課題が浮きぼりになりました。
結果として、設置された砲台は実戦で使われることはありませんでしたが、その陰で多くの寺院の棕鐘が失われました。その中には、きっと貴重な文化財も含まれていたことでしょう。
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!