菅原道真
平安時代の梵鐘空白期間について(後期)新着!!
2024-12-15
金峯山寺には、1160年に平忠盛が寄進した梵鐘があります。これは武士が制作に関わった最初の梵鐘として、平等院の時代まで貴族の支援で作られてきた梵鐘とは一線を画します。梵鐘の表面には四区画の独立した文様が施されていて、後に鎌倉時代の梵鐘に見られるデザインの原型となりました。まだ平安時代ですが、梵鐘は一足先に鎌倉時代に移行しました。
平安時代の梵鐘空白期間について(前期)新着!!
2024-12-15
平安時代にはひとつ未解決の問題があります。西暦700年ごろから始まった日本の梵鐘作りですが、平安時代(794年~1185年)に200年以上の空白期が存在します。口径が一尺(30センチ)以上の梵鐘で現存するものは、平安時代400年間で20個が確認できます。だいたい20年で1つのペースです。榮山寺(917年)から金峯山寺(1160年)の243年間は、ひとつの例外を除いて、完全な空白期間ということが分かります。
榮山寺の梵鐘と菅原道真の秘密に迫る
2024-12-06
奈良県五條市の榮山寺に伝わる梵鐘は、極めて美しい鐘銘文を持つことで知られその文化的価値から国宝に指定されています。藤原道明と橘澄清が協力して『道澄寺』を建立し、藤原道明が梵鐘を作るよう命令して、素晴らしい傑作が誕生したことが銘文に刻まれています。ところでこの鐘の銘文はそもそも菅原道真が作ったのではないか、という伝説が昔から存在します。このコラムでは伝説の真相に迫ってみたいと思います。