梵鐘単体の評価
京都・高台寺:大阪城炎上を見守った時雨亭の伝説を検証してみた
豊臣秀吉の正室である北政所は、秀吉の死後、1605年に京都東山の高台に高台寺を建立し、出家して高台院と名乗りました。徳川家康は寺院の建設に部下を参加させるなど、高台院の活動を積極的に支援しました。表向きには豊臣家の菩提を弔うためとされましたが、実際は大阪城に集結する豊臣勢力を抑え、京都に高台院を留める狙いがありました。家康の策略は見事に成功し、高台院は炎上する大阪城を時雨亭から無言で見守ったと伝えられています。
高台院が晩年を過ごしたお寺
高台寺の参道である「ねねの道」を挟んだ向かい側には高台院の屋敷が残っています。彼女はそこで暮らしていました。この屋敷は現在「圓徳院」という寺院になっており、拝観が可能です。高台院は毎日、屋敷から「台所坂」を登り、高台寺を行き来していました。
創建当時から現存する時雨亭
さらに高台寺の境内を登ると、伏見城から移築された二つの茶室、「傘亭」と「時雨亭」があります。時雨亭は珍しい二階建ての茶室であり、ここから高台院が炎上する大阪城を見つめていたという伝説が残されています。
梵鐘しらべ
時間 | 17時 |
打数 | 18打 |
前捨て鐘 | ー |
実質 | ー |
後捨て鐘 | ー |
梵鐘ものがたり
2016年に新調した鐘
高台寺では、毎日17時に18回の梵鐘が撞かれます。鐘楼は台所坂を登った山門の右手にあります。2016年までは創建当時の慶長11年(1606年)に作られた鐘が使われていましたが、現在は新調された鐘が毎日夕方に打鍾されています。高台から響く鐘の音は、「ねねの道」と呼ばれる美しい参道や古都の風情あふれる夕暮れの街並みに彩りを添えています。
京都から大阪城が見える?
京都から大阪城が見えるなんて信じがたい話ですが、実際にはどうだったのでしょうか?お寺から大阪城までの直線距離は、Googleマップによると約41.98km、マラソンの距離とほぼ同じです。時雨亭は高台寺の入口からさらに登った位置にあるので、眼下には大阪方面の夜景が広がります。大阪方向を望める場所という理由で、この地が選ばれた可能性も考えらえます。
時雨亭から大阪方面の眺め
炎上する大阪城が見える条件を計算してみた
40km以上も離れているため、地球の曲率も考慮に入れて条件を計算してみました。青い点線が高台院の目線となり、この線が地平線より上にあると視界に入る計算です。また、観察対象(大阪城)が高いほど見えやすくなります。
ここでは簡略化しますが、まず、6371km + 80.8mの斜辺をもつ黄色の直角三角形で計算するとA=32.09kmが求められます。Bは、41.98km – 32.09km = 9.89kmと算出されます。
さらに、R² + B² = C²を利用し、「6371の二乗 + 9.89の二乗」の平方根を求めると、C=6371.0077km、つまり0.0077km(7.7m)が見えるための最低高さになります。現在の大阪城天守閣の標高は32.7mです。当時の大阪城で炎上した炎が夜空を赤く染め上げたとすれば、高台寺から見えたという伝説も本当であった可能性があります。
アクセス
住所
京都府京都市東山区下河原町526
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お寺の鐘しらべ管理人
- 東京在住のサラリーマン
- 梵鐘の愛好家
- 出張先や夜時間に梵活中
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
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