東京・観栖寺:夕焼けの鐘が伝える和のこころ

「夕焼け小焼け」(ゆうやけこやけ)は、日本人なら誰もが知る童謡のひとつです。この曲は、詩人・中村雨紅(なかむらうこう)によって作詞され、草川信が作曲した作品です。歌詞は、夕焼けの景色を背景に、日が暮れてから夜になるまでの情景を描いています。「夕焼け小焼けで日が暮れて」という有名なフレーズから始まり、子供たちが「山のお寺の鐘がなる」と聞いて家に帰り、やがて夜が訪れる、という静かで平和な日常の風景が表現されています。

この曲は、懐かしさや郷愁を感じさせるものとして、日本文化の一部となっています。また多くの地域で、夕方に子供たちが帰宅する時間になると、この曲が防災スピーカーやチャイムを通じて流されることも多いです。

『夕焼け小焼け』に込められた日本の原風景

雨紅が勤務した厚木東高等学校

中村雨紅は、現在の東京都八王子市上恩方町出身で、大正8年頃に「夕焼け小焼け」の詩を作りましたが、その作詞の経緯については実は明確に記憶していなかったといいます。彼はインタビューで「青山師範学校に通っていた頃、帰り道の陣馬街道を歩いていた際に夕方の寺の鐘の音を聞き、郷愁の感情とともに詩が浮かんだのではないか」と話しています。

梵鐘しらべ

時間毎日18時
打数
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実質
後捨て鐘

夕焼け小焼けの「小焼け」とは?

この歌は有名なフレーズ「夕焼け小焼け」で始まります。

この「小焼け」という言葉には特に意味が無く、歌のメロディーに合わせ、語調を整えるために使われたものと考えられています。

童謡において、このような技法は頻繁に用いられるようです。「赤とんぼ」同じフレーズです。そのほかにも「大雪小雪」や「大波小波」などが例として挙げられます。これらは休字(やすめじ)または休め言葉とも呼ばれています。

四字熟語である「滅茶苦茶」の後半二文字に意味はなく、全体の語調を整えるために作られた休め言葉です。

梵鐘ものがたり

『夕焼けの鐘』がもたらす共生と和のこころ

このエリアには多くの寺が点在しており、特に観栖寺の鐘の音は陣馬街道まで届いていたため、モデルの候補となり得ると言われています。実際、中村の妻・千代子は観栖寺がモデルだと語ったことがあり、マスコミでもそのように取り上げられました。しかし、お寺側は「いくつかある候補の中の一つ」として特定を避ける立場を取っています。興慶寺や宝生寺なども鐘の音のモデルとして挙げられています。

中村雨紅の本名は高井宮吉で、もともと国語教師を目指していましたが、童謡や童話の雑誌「金の船」に自作の詩を投稿し始めたことがきっかけで、作詞家としての活動を始めました。彼のペンネーム「雨紅」は、彼が尊敬する野口雨情に倣って「雨」の字を取り、さらに「紅」を付け加えて名乗るようになりました。

国立国会図書館デジタルコレクションから

「夕焼け小焼け」が世に出たのは1923年(大正12年)7月31日のことでした。神田の楽器屋がピアノ購入者に無料配布する冊子として作成した「文化楽譜 新しい童謡」に掲載されています。冊子には5曲が収められていて中村雨紅は「夕焼け小焼け」「ほうほう蛍」の2曲を提供しました。しかしこの冊子はこの1か月後に発生した関東大震災でほとんど失われてしまいました。奇跡的に残った1冊が、中村雨紅の妻・千代子の妹・下田梅子の手に渡り、彼女が教師をしていた第ニ亀戸小学校で子供たちに披露すると、この曲はあっという間に全国に広まりました。

アクセス

住所

東京都八王子市西寺方町223

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お寺の鐘しらべ管理人

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