
梵鐘単体の評価
京都・海住山寺:瓶原の歴史を見守る天空寺と恭仁京跡
海住山寺(かいじゅうせんじ)は、京都府の南端、奈良県との境に位置する古刹です。関西本線加茂駅から木津川を越えて約3km、山の上にたたずむ天空のお寺です。この地域は奈良時代、天平12年(740年)から約4年間、聖武天皇が遷都した恭仁京が置かれた古都として知られています。
海住山寺がある山の麓周辺は、古来より瓶原(みかのはら)と呼ばれていました。恭仁京跡や関連する史跡が点在し、一帯は開発が制限されているため、のんびりした田舎の風景が広がっています。

急坂の先で出会うお寺と瓶原の歴史
海住山寺は麓から急坂を1キロほど登らなくてはなりません。私は徒歩でお寺に向かいましたが、徒歩で登るのは難しいくらいの急坂です。どうしようか途方に暮れていたら、途中で檀家さんが車に乗せてくれました。お寺からは春日山・若草山が眺められて、奈良の中心部がいつでも見える距離でありながら、急な山道に阻まれて程よく現世と隔離され、修行の場として適していたと思われます。

海住山寺が資料で確認されるようになるのは、解脱上人がこのお寺に住むようになってからです。鎌倉時代の初期、承元2年(1208年)に笠置寺から海住山寺に移動しました。興福寺の高僧であった解脱上人がやってきたことで、多くの修行僧が集まるようになり、江戸時代まで常に40人ほどのお坊さんが修行するお寺でした。

解脱上人の後を継いだのは慈心上人は瓶原エリアの整備に力を入れ、農業用の水路を整備しました。この水路は大井手用水と呼ばれていて、今も農業用の水路として使われています。

海住山寺は国宝五重塔を擁することで有名です。この五重塔は日本で2番目に低い五重塔で、鎌倉時代、慈心上人の頃に建てられたものと考えられています。高さ17.7メートルと小規模ながら、優美な姿と繊細な構造で広く称賛されています。心柱が2階から上にのみあって、1階部分には心柱が無いことが特徴です。また、1階部分には国宝の内陣扉絵と重要文化財の四天王像が収められています。
梵鐘しらべ

| 時間 | 除夜の鐘のみ |
| 打数 | ー |
| 前捨て鐘 | ー |
| 実質 | ー |
| 後捨て鐘 | ー |
恭仁宮跡:短い都が生んだ美しき歌

海住山寺の麓の平野には恭仁旧跡が広がっています。聖武天皇が平城京からここに遷都しました。約4年という短い期間でしたが、ここにちなんだ有名な和歌が生まれました。万葉集では8首が確認できます。その他にも、大伴家持は「今つくる恭仁の都は山川の清けき見ればうべ知らすらし」と恭仁京と木津川の美しさを称えました。また百人一首には「みかの原 わきて流るる 泉川(いづみがは)いつ見きとてか 恋(こひ)しかるらむ」と中納言兼輔が詠みました。この人物は紫式部の曽祖父と考えられています。
梵鐘ものがたり

海住山寺と興聖寺で失われた梵鐘
境内の鐘楼に収められている梵鐘は、大晦日にのみ撞かれます。瓶原の人たちが翌年への願いを込めて多く集まります。海住山寺のオリジナル梵鐘は、戦国時代に瓶原の領主であった古田織部が京都の興聖寺(織部寺)に移動したと伝えられていますが、真偽は分かりません。興正寺の梵鐘は太平洋戦争の金属供出で失われ、現在はどちらのお寺も戦後に新しく作られたものが使われています。

アクセス
住所
京都府木津川市加茂町例幣海住山境外20
ホームページ
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