
梵鐘単体の評価
京都・寂光寺:本因坊の歴史を伝える囲碁の聖地
室町時代の僧・算砂(さんさ)は、囲碁の名人でした。やがて名声が高まるにつれて、寂光寺にちなみ「本因坊・算砂」と呼ばれるようになり、囲碁の家元としてこの称号が定着しました。第一世本因坊・算砂は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の囲碁指南役を務め、日本に囲碁を広めるきっかけを作りました。それ以降、「本因坊」は囲碁の最高称号として現代まで受け継がれています。

お寺に保管されている算砂の碁盤
囲碁ファンやプロ棋士が訪れるお寺
今回は、突然の訪問にもかかわらず、快くお寺の中を案内していただきました。
算砂が愛用していた碁盤は、現在も寂光寺に現存しています。持ち運びが可能なタイプで、信長・秀吉・家康を訪問して囲碁を教える際に使用された可能性がある貴重なものです。客殿には本因坊タイトル戦で使用される対局室があり、囲碁ファンやプロ棋士が見学に訪れることもあるそうです。

ここで開催された山下・井山戦の場面が再現されています
囲碁の最高位、本因坊は世襲制から実力制に
1937年1月3日、東京日日新聞(毎日新聞)にて二十一世本因坊・秀哉が重大な発表を行いました。自身の引退、そして次の本因坊から実力制を導入するという決定です。
それまでの囲碁界には四つの流派が存在し、本因坊家もその一つとして世襲制を維持してきました。もちろん一門の実力者から選ばれるのでツワモノではあるものの、一度本因坊に就任すると対局を行う機会は少なかったようです。現場から離れた名誉職の意味合いが強かったのかもしれません。世襲制は初代・算砂から二十一世・秀哉まで、約400年にわたって続いてきました。

1937年1月3日、東京日日新聞(毎日新聞)
秀哉は本因坊に就任した後も対局で勝利を重ね、「不敗の名人」と称されました。彼の引退に伴い、新たな実力制本因坊の座をかけた挑戦者決定戦が開催され、そこで勝ち抜いた木谷実七段が挑戦者に指名されました。秀哉の最後の戦いは約6か月にわたる長期戦となりました。
梵鐘しらべ

時間 | 8月6日、8月9日、8月15日など |
打数 | ー |
前捨て鐘 | ー |
実質 | ー |
後捨て鐘 | ー |
川端康成と秀哉の不思議な縁

本因坊秀哉の最後の戦いは毎日新聞で連載され、観戦記を担当したのは作家・川端康成でした。囲碁の勝敗は当時と現在とでルールが異なり、現代のルールを適用すると秀哉の勝利となるそうです。それほど僅差の対局だったのですが「不敗の名人」と称された世襲最後の本因坊は、最後の対局で敗れることとなりました。
この対局の約1年後、秀哉は他界しました。その2日前、彼は川端康成と将棋を指しており、これが生前最後の対局となりました。そのエピソードは新聞にも紹介されています。
ちなみに第一世の本因坊算砂は天正10年6月1日、織田信長の前で囲碁の対局を行っています。日本史上最大の事件「本能寺の変」が起こる前日の事でした。
梵鐘ものがたり

碁石のような供出穴がある梵鐘
戦火をくぐり抜けた供出戻りの鐘
寂光寺の梵鐘には、まるで碁石のような黒丸の模様が三つあります。しかし、よく見るとそれは模様ではなく、実際に穴が開いていることがわかります。これは「供出穴」と呼ばれるもので、太平洋戦争中の金属回収令によって供出された梵鐘が、成分分析のためにサンプリングされた跡です。
戦時中に供出された梵鐘が溶かされる前に終戦を迎え、元のお寺に戻ることがたまにあります。このような鐘は「供出戻りの鐘」と呼ばれ全国に見られますが、供出穴は関西地方にのみ見られる現象です。お寺の資料によると宝永元年(1704)に鋳造されたものだそうです。
本因坊第五世・道知の時代に作られた鐘が碁石模様を付けて戻り、現代の本因坊や囲碁ファンにその音を届けていることは時代を超えた不思議な縁を感じさせます。

寂光寺で行われた第78期本因坊戦の様子
1945年8月6日広島での対局
実力制本因坊の任期は2年と定められました。1941年に第一期本因坊が誕生し、1943年には第二期、そして第三期本因坊戦が1945年に開催されました。七番勝負の第二局は8月6日、広島で行われる予定でした。しかし、市内は空襲の危険があったため、対局場は郊外へと変更されました。そして、対局の最中、まさにその瞬間、広島市に人類史上初の原子爆弾が投下されました。対局自体は無事に終了しましたが、東京の事務局では関係者の消息が数週間にわたって不明となり、一時は死亡説まで流れたそうです。

アニメ『ヒカルの碁』に登場する第十四世・秀策
アクセス
住所
京都府京都市左京区仁王門通東大路西入北門前町469
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
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