奈良・長谷寺:源氏物語に描かれた鐘とほら貝の響き

長谷寺は「花の御寺」として知られ、四季折々の花が訪れる人々を魅了します。私が訪れたのは7月で、アジサイの季節が終わりかけていましたが、それでも多くの花々が咲き誇っていました。広大な長谷寺の境内は、初瀬山全体が寺となっていて、まるで自然と一体化しているかのようです。JR東海の奈良キャンペーンCMで俳優の鈴木亮平さんが訪れていた登廊は、フォトスポットとしても有名です。本堂までの399段の階段は、季節ごとに美しく飾られた花々のおかげで、疲れを感じさせません。

重要文化財の登廊は明治22年再建

最寄り駅は近鉄大阪線の長谷寺駅ですが、駅から寺まで少し距離があります。坂道が続くため、改札口からお寺の入口まで徒歩で30分ほどかかると見積もっておくのが良いでしょう。参道沿いの飲食店やお土産屋を見ながら歩くのも楽しい体験です。天候が悪い場合は、駅前(改札口は一つだけ)で「日の丸交通」に電話すれば、5分ほどで迎えに来てくれます。料金は約700円で、タクシーを利用するのも便利です。

近鉄大阪線の長谷寺駅

山全体に広がる境内とお花

長谷寺の創建時期にはいくつかの説があります。古文書には、天武天皇や持統天皇の時代の戌年(いぬどし)に建立されたとの記載があり、686年、698年、710年のいずれかと考えられています。いずれにしても、長谷寺は1300年以上の歴史を持つ古刹です。

断崖絶壁の舞台は国宝に指定されています

関西の人々にとって「長谷寺」といえば奈良ですが、東京をはじめとした関東の人々には鎌倉の長谷寺が思い浮かぶのではないでしょうか。どちらの長谷寺も、あじさい寺として有名です。二つのお寺は偶然同じ名前を持つだけで、宗教的な関係はありませんが、興味深いことに、両寺とも本尊は国内最大級の高さ10m近い十一面観世音立像です。

さらに鎌倉の長谷寺には、同じ木から彫られた二体の菩薩が存在するという伝説があります。奈良時代の721年、僧侶の徳道上人(とくどうしょうにん)は楠の霊木から二体の観音像を作り、そのうちの一体を奈良の長谷寺に祀り、もう一体は海に流したと伝えられています。この一体は15年間海を漂流し、神奈川県の湘南海岸に打ち上げられ、鎌倉の長谷寺に安置されたと伝えられています。

梵鐘しらべ

時間6時(鐘)、12時(鐘と貝)、20時(貝)
打数-
前捨て鐘-
実質-
後捨て鐘-

白粉婆の一粒万倍伝説

長谷寺には、以下のような妖怪伝説もあります。天文六年(1537年)、弘深上人が呼びかけ、本尊の十一面観音の実物大の絵を描く計画が持ち上がりました。全国から集まった100人ほどの僧侶たちがその作業に参加しましたが、思うように進みませんでした。ある日、僧侶たちは朝食の準備がされていないことに不満を漏らしていました。本堂の舞台から門前町を見下ろすと、街には活気がなく静まり返っていたのです。その理由を尋ねると、足利将軍の軍勢が街中の食料を持ち去ってしまったため、食事の用意ができなかったとのことです。

その時、どこからともなく一人の娘が現れ、米を研ぎ始めると、一粒の米が万倍にも増える不思議な光景が広がりました。僧侶たちはこれが観音様の化身に違いないと思い、石を女に向かって投げました。女が顔を上げると、光に包まれた観音様の姿が現れ、疲れ果てて老婆の姿をしていました。この観音様を見た僧侶たちは、それ以降文句を言わずに作業に取り組み、最終的に立派な絵を完成させたという伝説が伝わっています。

梵鐘ものがたり

藤原定家が詠んだ尾上の鐘

400段の登廊を登り切ると、本堂横の広場に鐘楼が現れます。このお寺の初代の梵鐘は、1019年に木津川市の栗田助貞という人物によって寄進されました。この初代の梵鐘について鎌倉時代の歌人、藤原定家が詠んだ和歌が新古今和歌集に残されています。

「年も経ぬ 祈る契りは 初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ」

文亀元年(1501年)には二代目の梵鐘が作られ、現在も毎日使用されています。この鐘は「尾上の鐘」と呼ばれ、兵庫県加古川市の尾上神社に伝わる朝鮮鍾にちなんで名付けられたとされています。藤原定家が長谷寺でこの鐘の音を聞いたとき、尾上神社の有名な鐘を連想し、思わず「初瀬山の尾上の鐘」と詠んだのでしょう。尾上神社の鐘は一度盗まれ、別の寺で使用された際、元の場所に戻りたいという意味で「オノー、オノー」と鳴り響いたと伝えられています。

長谷寺の本堂から見下ろす門前町の風景は、日本の原風景ともいえる郷愁を誘うもので、藤原定家も同じような思いを抱いていたのかもしれません。

枕草子にも描かれた正午の鐘

今日も変わらず、毎日正午にお坊さんが鐘楼に上り、鐘の音に合わせて法螺貝を吹き鳴らす光景が広がります。梵鐘と法螺貝のハーモニーは「時の貝」と呼ばれ、清少納言が『枕草子』で次のように表現しています。

「日ごろ籠もりたるに、昼はすこしのどかにぞ、はやうはありし法師の坊に、男をのこども、わらはべなどゆきて、つれづれなるに、たゞかたはらに貝をいとたかく俄に吹き出だしたるこそ、驚かるれ。」

(訳:かつて法師が住んでいた建物に男たちや子供たちが行き、引きこもって静かな昼下がりに、突然そばで貝がとても大きく吹き鳴らされたので驚いた。)

「清少納言図」:東京国立博物館A-952

平安時代から変わらない景色と音風景

梵鐘と法螺貝が交互に響き渡る特別な風景は、古くから人々を魅了し、文学にも詠まれてきました。平安時代の古典文学では、藤原道綱母の『蜻蛉日記』、清少納言の『枕草子』、紫式部の『源氏物語』、菅原孝標女の『更級日記』などに描かれています。正午の「時の貝」を鑑賞するには、国宝に指定されている本堂が最適です。本堂の舞台から見下ろすと、1000年前から変わらない門前町の景色が広がります。

アクセス

住所

奈良県桜井市初瀬731-1

ホームページ

https://www.hasedera.or.jp/


お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

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