
京都・妙満寺:安珍清姫伝説600年の旅
市街地の喧騒から少し離れたこの地に、安珍・清姫伝説と深く結びついた一口の鐘が伝えられています。
安珍・清姫の物語といえば、和歌山県日高郡の道成寺を舞台とする説話がよく知られています。しかし、鐘の物語はここで終わらず怨霊となった清姫の記憶を背負いながら、時代と土地を越えて移動し、最終的にこの岩倉の妙満寺に辿り着きました。

物語の起点 ― 『大日本国法華験記』
安珍・清姫に関わる鐘の物語が、文献上で最初に確認できるのは、長暦4年(1040)成立とされる仏教説話集『大日本国法華験記』です。ここでは、僧と女性、そして鐘をめぐる怪異譚として語られており、後世に成立する「道成寺縁起」や能・歌舞伎の道成寺物の原型となりました。
この段階では、清姫はまだ「執念深い悪女」として固定された存在ではなく、人間の情念と仏教的因果が交錯する存在として描かれています。

道成寺の再び封じられた梵鐘
安珍・清姫の事件以後、道成寺では梵鐘が鋳造されない時代が長く続きました。鐘そのものが、災厄や怨念を呼び起こす存在として忌避されたためと思われます。
その空白期間を経て、南北朝時代の正平14年(1359)3月11日、ついに新しい梵鐘が完成しました。完成の法要の日、清姫の怨霊が現れて、呪力によって鐘を落下させ、やがて蛇に変身して川へ消えてしまいました。
この出来事の後、周辺では不吉な出来事が続き、人々は恐れをなした。最終的にこの鐘は、竹林に埋められました。

梵鐘しらべ

| 時間 | 大晦日 午後3時~5時 |
| 打数 | ー |
| 前捨て鐘 | ー |
| 実質 | ー |
| 後捨て鐘 | ー |
除夜の鐘の最新トレンド

妙満寺では、大晦日の夕方に「年送りの鐘」と呼ばれる鐘撞きの行事が行われています。一般的な深夜の除夜の鐘とは異なり、明るいうちに行われるのが特徴です。
近年、同じように昼間や夕方に鐘を撞くお寺は増えつつあります。深夜の外出が難しい子どもや高齢の方にも参加しやすく、家族で楽しめる年越しのかたちとして注目されています。
梵鐘ものがたり

伝説の鐘は和歌山から京都へ
この鐘が再び歴史の表舞台に現れるのは、約200年後の天正年間です。
豊臣秀吉による根来攻め(紀州征伐)の際、秀吉の家臣仙石秀久が、山中でこの鐘を掘り出したと伝えられています。
秀久はこの鐘を合戦の合図に用い、その後、京都へ持ち帰りました。そして清姫の怨念を鎮めるため、この鐘を妙満寺に奉納したということです。

アクセス
住所
京都府京都市左京区岩倉幡枝町91
ホームページ
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!



