雑学
ゆく年くる年(2024-2025)の結果と感想
毎年NHKで放映されている「ゆく年くる年」のロケ地ついて、昨年11月にstand.fmでガウディさんと予想しました。今回は放送内容の振り返りと感想を語ってみたいと思います。
平安時代の梵鐘空白期間について(後期)
金峯山寺には、1160年に平忠盛が寄進した梵鐘があります。これは武士が制作に関わった最初の梵鐘として、平等院の時代まで貴族の支援で作られてきた梵鐘とは一線を画します。梵鐘の表面には四区画の独立した文様が施されていて、後に鎌倉時代の梵鐘に見られるデザインの原型となりました。まだ平安時代ですが、梵鐘は一足先に鎌倉時代に移行しました。
平安時代の梵鐘空白期間について(前期)
平安時代にはひとつ未解決の問題があります。西暦700年ごろから始まった日本の梵鐘作りですが、平安時代(794年~1185年)に200年以上の空白期が存在します。口径が一尺(30センチ)以上の梵鐘で現存するものは、平安時代400年間で20個が確認できます。だいたい20年で1つのペースです。榮山寺(917年)から金峯山寺(1160年)の243年間は、ひとつの例外を除いて、完全な空白期間ということが分かります。
榮山寺の梵鐘と菅原道真の秘密に迫る
奈良県五條市の榮山寺に伝わる梵鐘は、極めて美しい鐘銘文を持つことで知られその文化的価値から国宝に指定されています。藤原道明と橘澄清が協力して『道澄寺』を建立し、藤原道明が梵鐘を作るよう命令して、素晴らしい傑作が誕生したことが銘文に刻まれています。ところでこの鐘の銘文はそもそも菅原道真が作ったのではないか、という伝説が昔から存在します。このコラムでは伝説の真相に迫ってみたいと思います。
日本一早い『ゆく年くる年(2024-2025)』大予想
今年も残すところあと2か月となり、梵鐘界のビッグイベント「大晦日の除夜の鐘」が近づいてきました。そして、この時期に欠かせないのが、NHKで毎年放送される「ゆく年くる年」ですね。梵鐘が一年で最も注目される瞬間が、もうすぐやってきます。
大阪・釣鐘屋敷:歌舞伎のクライマックスに描かれた鐘の音(大阪府有形文化財)
大阪地下鉄谷町線の天満橋駅から徒歩5分の場所に江戸時代の釣鐘が残されています。この地域の住所「釣鐘町」という地名も、この釣鐘に由来しています。
東大寺が毎晩14回の鐘を響かせるミステリーを追う!
東大寺の20時の鐘は実質14回とされています。14回というのはかなり珍しくて、私が知ってるのはここだけです。自分なりに 14回の理由を考察してみました。
東大寺の太郎と朝比奈三郎の轟音伝説
鎌倉時代の武将、朝比奈義秀にまつわる話があります。義秀は北条一族と和田一族が武力衝突した和田合戦で活躍した実在の人物ですが、人間離れした逸話も多く残されています。
夕暮れの法隆寺 ― 『柿食えば鐘が鳴るなり』の舞台を探る
明治時代の俳人、正岡子規が詠んだ俳句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」。知らない人はおそらくいないでしょう。昼間は多くの人で賑わっていた法隆寺が、夕暮れになり静寂が戻りつつある情景を描いています。










