高野山・金剛峯寺(2):福島正則が寄進した万葉仮名の鐘新着!!
高野山駅に到着後はケーブルカーとバスを乗り継ぎ、いよいよ聖地の門をくぐります。まず出迎えてくれるのは金剛力士像が立つ大門。その先には、壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院と続く参道が2キロ以上も続き、周辺には117もの寺院が点在します。高野山全体が「一山境内地」と称され、山全体がお寺となっているのが特徴です。樹齢数百年の杉並木を進む奥之院参道は、異空間に迷い込んだような感覚を抱かせ、強いスピリチュアルな印象を与えます。
高野山・金剛峯寺(1):高野二郎と呼ばれた山岳宗教都市の大鐘新着!!
多くの日本人にとって高野詣は遠い存在で、門をくぐる時の感動は道中の苦労を忘れさせてくれます。標高約1,000メートルに位置する山岳地帯に広がる宗教都市は、1,200年もの長い歴史を持ち、多くの信仰を集めてきました。終着駅に近づくにつれ、列車の車窓からは数百年の樹齢を持つ木々が生い茂る森が広がり、日常から離れた異世界へと誘われるような神秘的な景色が見えてきます。大阪を出発する時は賑やかだった満員の車内が静寂に包まれ、乗客の期待とともに緊張感がただよい始めます。
奈良・當麻寺:古代の聖地に伝わる現存最古級の梵鐘(国宝)新着!!
邪馬台国の有力候補地とされる古代奈良盆地。朝日が昇る三輪山と日が沈む二上山は特別な聖地として崇められ、地域は大いに栄えていました。二上山の東麓には修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)の私領があり、彼が修行した最初の地が當麻です。役行者が寄進した場所にできたお寺が當麻寺となりました。天武天皇10年(白鳳9年・681)の出来事と考えられています。
比叡山・延暦寺:いろんなルートで巡る仏教の最強パワースポット
延暦寺は比叡山に全体に広がる寺院で、ユネスコ世界文化遺産に認定されています。山内の三つのエリア「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」に約100の堂塔がそびえています。三つのエリアそれぞれに本堂があって、それぞれが巨大寺院と呼べる存在です。
滋賀・園城寺(三井寺):「弁慶の引摺り鐘」と「三井の晩鐘」(重要文化財、残したい日本の音風景百選)
比叡山の武蔵坊弁慶が付けた傷跡が残される初代梵鐘は「弁慶の引摺り鐘」と呼ばれています。江戸時代から使われている二代目の鐘は「三井の晩鐘」として、毎日夕刻の17時に響き渡ります。その音色は、「残したい日本の音風景百選」に選ばれ、琵琶湖を見下ろす風景に溶け込む美しい響きを届けます。
京都・永観堂:みかえり阿弥陀の伝承と鐘の響きが紡ぐ物語
京都市左京区に位置する永観堂禅林寺(通称・永観堂)は、平安時代初期の863年、弘法大師(空海)の弟子である真紹(しんじょう)によって創建されました。永観堂は、その美しい紅葉が特に有名で、秋には境内を彩る鮮やかなもみじが訪れる人々を魅了し「モミジの永観堂」として親しまれています。
京都・高台寺:大阪城炎上を見守った時雨亭の伝説を検証してみた
豊臣秀吉の正室である北政所は、秀吉の死後、1605年に京都東山の高台に高台寺を建立し、出家して高台院と名乗りました。徳川家康は寺院の建設に部下を参加させるなど、高台院の活動を積極的に支援しました。表向きは豊臣家の菩提を弔うことが目的とされていましたが、実際には大阪城に集結する豊臣勢力を抑え、京都に高台院を留める狙いがあったのです。家康の策略は見事に成功し、高台院は炎上する大阪城を無言で見つめていたといわれます。
奈良・やまぞえ不動院:山添村で80年ぶりによみがえる除夜の鐘
やまぞえ不動院は様々な活動を通じて、地域の人々にとって大切な拠り所となっています。不動院の古図を元に、お寺の境内整備を進めています。ご住職は「5年毎に一つずつ伽藍を整備する」という計画を立て、鐘楼堂の再建が進められています。
名古屋・本願寺東別院:300年前の鐘と名古屋城の宝探し
1690年(元禄3年)、尾張藩主の徳川光友が古渡城跡の約1万坪を寄進し、1702年(元禄15年)に名古屋別院がこの地に創建されました。古渡城は織田信長の父、信秀が築いたもので名古屋城の築城時にはその跡地に石垣用の石材が一時的に集められたようです。これらの石材には大名の刻印が刻まれているものがあって、お寺の境内や隣接する下茶屋公園では、現在までに29個の石が発見されています。
名古屋・万松寺:名物ショーの開幕を告げる梵鐘
梵鐘単体の評価 名古屋・万松寺:名物ショーの開幕を告げる梵鐘 大須商店街を歩いていると、特に目を引くのが巨大ビジョンと近代的な設備を備えたハイテクな万松寺です。この寺の歴史は古く、織田信長の父・織田信秀が、織田家の菩提寺 […]