京都・東福寺: 毎日深夜に鳴り響く伝統の『送り鐘』(重要文化財)

京都の紅葉の名所といえば、最初に名前が挙がるのが東福寺です。鎌倉時代の1236年に創建されたこのお寺は、東大寺の「東」と興福寺の「福」を組み合わせた名前を持ち、その境内にある通天橋は、秋の紅葉シーズンになると多くの観光客で賑わいます。京都から東福寺に向かう電車は東京の通勤ラッシュのようになり、お寺は入場規制がかかるほど人気のスポットです。

JR京都駅から奈良線で一駅、東福寺駅から徒歩10分ほどで行けるのでアクセスも便利です。このお寺の梵鐘は800年間続く『送り鐘』の伝統があります。

極めて珍しい深夜23時45分の鐘

東福寺の初代住職には、中国に留学経験のある名僧・弁円(べんえん)が任命されました。彼は東福寺だけでなく、建仁寺の住職も兼任していて、東福寺での務めを終えると、建仁寺へと移動する生活を送っていたと言われています。この時代の面影を残す伝統は現在も続いて、東福寺では住職が出発した合図として「送り鐘」が毎日23に45分に鳴り始めます。建仁寺では毎年6月4日深夜2時に「迎え鐘」が響くという行事が行われます。送り鐘は前後3回ずつ計6回の捨て鐘を含めると、全24回にわたって打たれます。

梵鐘しらべ

時間毎晩23時45分
打数24 打
前捨て鐘3 打
実質18 打
後捨て鐘3 打

雪舟ゆかりの芬陀院

東福寺には25の塔頭寺院があり、深夜の『送り鐘』は塔頭のお坊さんが3か月ごとに交代で担当しています。

塔頭のひとつ、芬陀院は雪舟ゆかりのあるお寺です。雪舟は日本の水墨画の巨匠ですが、当時の本職は僧侶、東福寺で修行した際に滞在したのが芬陀院でした。雪舟はこのお寺に枯山水の庭園を造り、今もなお多くの人が鑑賞に訪れます。

また、芬陀院には菊の御紋があしらわれた家財道具が数多く残されています。これは一条家の菩提寺が芬陀院であることと関係しています。明治天皇の妃である昭憲皇太后は一条家の出身で、天皇家が東京に移る際に京都御所の家財道具を芬陀院に遺されたというエピソードがあります。

梵鐘ものがたり

鑑賞ポイントは臥雲橋付近

この『送り鐘』はお坊さんが修行する東福僧堂に設置されていて、一般の人が見ることはできません。実際に鐘を鳴らしているお坊さんからの話によると、この鐘は200キログラムほどの小型の梵鐘だそうです。そのためか、深夜であってもその音はそれほど大きくはありません。これまで何度か現地で耳を澄ませた経験から、臥雲橋付近が最適な場所ではないでしょうか。夜の静けさの中で橋の上から聞く鐘の音は、京都の夜を特別なものにしてくれます。

幻の西寺に由来する殿鐘楼の鐘

また、東福寺にはこの送り鐘以外にも貴重な梵鐘があります。日下門を入ってすぐ左側に位置する室町時代に建てられた「殿鐘楼」に収められている梵鐘です。この鐘は、法隆寺の鐘に似たデザインと構造を持ち、奈良時代に作られたと推定されています。現在の東福寺ができたのは鎌倉時代なので、この鐘は元々別の寺院で使われていたものが流用されています。一説によると、かつて平安京にあった西寺の遺物だとも伝えられています。現在、この鐘は安全のため収蔵庫に保管されています。

終電をあきらめずに京都へ戻るには

『送り鐘』24回をすべて聞いてしまうと、終電を逃す可能性があります。24時くらいまでの鐘を聞いて、駅に向かえば京都行きの最終電車に間に合います。万が一逃してしまっても、東福寺駅から京都駅までは徒歩20分ほどですのでそれほど心配ありません。

歴史と伝統が息づく東福寺の梵鐘。その音に耳を傾けながら、京都の静かな夜を楽しんでみてはいかがでしょうか。

アクセス

住所

京都府京都市東山区本町15丁目778

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です