
梵鐘単体の評価
東京・五百羅漢寺:お鯉さんと平和の鐘のものがたり
不動前駅から徒歩約10分。目黒不動のすぐ隣にある五百羅漢寺は、江戸時代から続く黄檗宗の寺院です。開基・松雲元慶が独力で彫り上げた像はもともと563体ありましたが、明治から昭和初期にかけてお寺が衰退し、たくさんの像が散逸していきました。いまは305体の羅漢像が現存し、その喜怒哀楽あふれる表情が訪れる人を迎えてくれます。

お鯉の数奇な運命
昭和の初め、住職がいなくなるほど衰退したお寺にやってきたのは妙照という尼さんでした。もともと新橋の芸者で「お鯉」と呼ばれ、総理大臣・桂太郎の愛妾としても知られた人物です。桂太郎が他界した後は、赤坂で「鯉住」という料亭を営んでいました。このお店は法務大臣を巻き込んだ汚職事件の舞台となり(通称、お鯉事件)、お鯉は警察の取り調べを受けました。

政治問題化を恐れた警察からは大臣の来店を否認するよう求められましたが拒否し、偽証罪で収監されました。政界の大物であった頭山満が身元を引き受け、福井の永平寺で修行します。その後、縁あって無住状態だった五百羅漢寺の再興を託され、入寺しました。妙照尼は、太平洋戦争中の金属類回収令によって供出されそうになった梵鐘や、羅漢像の保存に尽力し、305体の羅漢像を守り抜きました。

梵鐘しらべ

時間 | 8月6日、9日、大晦日 |
打数 | ー |
前捨て鐘 | ー |
実質 | ー |
後捨て鐘 | ー |
大鳥神社の切支丹灯籠

五百羅漢寺の周辺には、歴史ある寺社や見どころが点在しています。
五百羅漢寺から徒歩約5分の大鳥神社は、目黒の総鎮守として知られる古社。境内には「切支丹灯籠」と呼ばれる石灯籠があります。竿石に十字架に似た装飾が刻まれ、キリストのような西洋風のシルエットを見ることができます。江戸時代のキリシタン禁制下に、密かに信仰を守った痕跡とされる貴重な遺物です。
梵鐘ものがたり

一般的な鐘にある「乳(ち)」がなく、上部に梵字が描かれている
激動をくぐり抜けた「平和の鐘」
昭和26年(1951)9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結され、日本の主権回復が決まった日。東京・日比谷公会堂で開かれた「万国戦没者慰霊大会」の会場に、この五百羅漢寺の梵鐘が設置され、参列者の前で鳴らされました。その音色は日本全国に放送され、「平和の鐘」として広く知られるようになりました。

縁の部分が波打つ中国風デザイン
平和の鐘は現在も、毎年8月6日(広島原爆の日)、8月9日(長崎原爆の日)、8月15日(終戦の日)に、黙とうとともに1分間打たれます。8月6日には毎年、移動演劇隊「桜隊」の法要も行われ映画に出演された常盤貴子さんが参拝されるそうです。安永3年(1774年)に改鋳されたもので、極端に古い鐘ではありませんが、激動の歴史をくぐり抜けたこの鐘は、今も静かに平和の祈りを伝え続けています。

アクセス
住所
東京都目黒区下目黒3丁目20−11
ホームページ
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!