東大寺の太郎と朝比奈三郎の轟音伝説

梵鐘には「撞座(つきざ)」と呼ばれる打点があります。これは鐘を打つ際の目印です。東大寺では、撞座から外れた下部を打鐘しており、それがフロントページの写真に表れています。

お寺の鐘調べ

東大寺の打鐘スタイルにまつわる伝説

なぜこのように不自然な形で打鐘しているのかには、様々な伝説が存在します。国宝なので、できるだけ模様を傷つけないためという話もあります。有名な話の一つに、鎌倉時代の武将、朝比奈三郎義秀にまつわる話があります。義秀は北条一族と和田一族が武力衝突した和田合戦で活躍した実在の人物ですが、人間離れした逸話も多く残されています。

義秀が東大寺の鐘を全力で撞いた際、三日三晩にわたり響き続けたとされ、これは彼の怪力ぶりと梵鐘の巨大さを物語っています。

奈良時代の東大寺と鎌倉時代の円覚寺

東大寺の梵鐘は大仏と同時に西暦750年頃製作された、日本初期の梵鐘の一つとして古代鐘に分類されます。長男のような存在から『奈良太郎』とも呼ばれてきました。それから500年ほど後に製作された円覚寺洪鍾になると、明らかに撞座の位置が低くなっていることが分かります。梵鐘製作の経験が少ない奈良時代では音響設計があまり考慮されず、外観デザインを優先した結果と言えます。完成した鐘を実際に撞いてみると音が良くないことが分かり、より低い位置を撞くことで音色や響きを向上させていったのでしょう。

このように、東大寺が撞座を使わない理由は音の向上を求めた試行錯誤の結果と考えられます。いずれにせよ、朝比奈義秀の伝説には奈良の誇りである梵鐘の大きさへの敬意が込められています。

お寺の鐘しらべ管理人

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皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

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