【文学鐘旅行】いろは歌「とがなくてしす」の影
平家物語と“いろは歌”に響く、無常の調べ
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」――
この一節で始まる平家物語は、栄華のはかなさを象徴する文学として知られています。
ところが、同じように「色は匂へど散りぬるを」と詠ういろは歌にも、同じような無常観が流れています。どちらも「物事は常ならず」「盛者は必ず衰える」と説き、夢のような人生の儚さを描きます。そして、どちらの作者も不明。この二つの作品に多くの共通点が見られることは、偶然ではないのかもしれません。

ひらがな48文字に潜む“暗号”
「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ」
平家物語と並び、日本人の心に“無常”を刻んできたのが「いろは歌」です。作者は不明ですが、探す上でいくつかのヒントが残されています。
第一に、いろは歌が記された最古の文献『金光明最勝王経音義』(承暦三年・1079年)よりも前に生きた人物であること。第二に、和歌において圧倒的な表現力を持つ人物であること。
そして第三に、不遇の晩年を送った人物であること。

「咎なくて死す」という隠された言葉
いろは歌は、七・五・七・五のリズムが繰り返される和歌の形式に近い構成を持っています。しかし、ここに一つの不思議な仕掛けがあることが古くから指摘されています。いろは歌を七文字ごとに区切り、その七文字目を順に並べると――
| 区切り順 | 文字列(7文字) | 7文字目 |
|---|---|---|
| ① | いろはにほへと | と |
| ② | ちりぬるをわか | か |
| ③ | よたれそつねな | な |
| ④ | らむうゐのおく | く |
| ⑤ | やまけふこえて | て |
| ⑥ | あさきゆめみし | し |
| ⑦ | ゑひもせず | す |
すなわち「咎なくて死す」
“罪もないのに死ぬ”という意味になります。これを単なる偶然とみるか、あるいは作者の心の叫びとみるか。この短い詩に秘められたメッセージ性は、多くの研究者や愛好家の想像を掻き立ててきました。
山上憶良という可能性
この三つの条件――
①1079年以前の人物、②優れた和歌の才、③不遇の晩年――を満たす人物として浮かび上がるのが山上憶良(やまのうえおくら)です。憶良は奈良時代の歌人で、『万葉集』に多くの秀歌を残しました。しかし、筑前守など地方官を歴任したものの、中央での出世には恵まれず、大宰府で静かに生涯を終えています。その作品には、貧しい人々への共感や、人間の命のはかなさを詠んだ歌が多く、いろは歌に通じる思想が感じられます。

「やまのうえおく」という偶然
いろは歌の中には「有為の奥山 今日越えて」という一節があります。この「うゐのおくやま(うえのおくやま)」の音を入れ替えると――
やまのうえおく
まるで作者の名を暗示しているように読めるのです。もちろん、これは後世の想像にすぎません。しかし、和歌の形式と思想、そして隠された暗号を重ねて見ていくと、山上憶という名があまりに自然に浮かび上がってきます。

無常を詠んだ“声なき歌人”
いろは歌の作者が誰であれ、そこに込められた思想は「祇園精舎の鐘の声」と同じく、この世の無常と人の儚さを見つめたものでした。「咎なくて死す」が事実であったとしても、人生振り返ってみれば誰もが「あさきゆめみし」なのかもしれませんね。

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!



