【文学鐘旅行】祇園精舎の「声」の正体を探る

平家物語の名文に鳴る「鐘」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。
平家物語の冒頭として、あまりに有名なこの一節。けれども、その「祇園精舎の鐘」とは、いったいどこの鐘を指しているのでしょうか。

ColBase 源平合戦屏風

そもそも祇園精舎とは何か

基本的には、祇園精舎とはインド仏教の聖地を指します。その名はインドの「祇園精舎」に由来します。釈迦が説法を行った祇園精舎(ジェータヴァナ僧院)は、インド北部・ネパール国境近くの祇樹給孤独園に位置し、仏教信仰の中心的な場所でした。
しかし、平家物語が成立した鎌倉時代の日本人が、インドの地理や寺院の様子を詳しく知っていたとは考えにくい時代です。むしろ当時の日本人が「祇園」と聞いて思い浮かべたのは、京都の祇園社――現在の八坂神社だったことでしょう。

インドの祇園精舎

京都・祇園社の成立と伝承

八坂神社は明治初期までは「祇園社」と呼ばれており、その由来は仏教的な「祇園精舎」にあります。鎌倉時代の写本『祇園牛頭天王縁起』には、「天竺祇園精舎ノ守護神 牛頭天王、此国ニ渡リ、祇園社ト為ル」と明記されています。つまり「インドの祇園精舎」が日本に渡ってきて「京都の祇園社」となったということです。

平家物語の「祇園精舎の鐘」とは、遠いインドの物語ではなく、京都の祇園社を念頭に置いた表現であった可能性が高いのです。

ColBase 京都名所之内・祇園社雪中

「祇園精舎の鐘の声」の源流 ― 『往生要集』

実は、平家物語よりも前の文献にも「祇園精舎の鐘の声」という表現が登場します。
平安時代の僧・源信が著した『往生要集』(平安中期)には、次のような一節があります。

祇園寺無常堂四隅有鐘。鐘聲中説此偈曰:
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽。

(祇園寺の無常堂の四隅に鐘があり、その鐘の声に「諸行無常」などの偈が説かれていた)

つまり、平家物語よりも前の『往生要集』にはすでに「祇園精舎の鐘の声」「諸行無常」といった語句が見られます。ここで注目すべきは「音」ではなく「声」とされている点です。鐘そのものが“無常”を語る存在として描かれ、鐘の音の中に僧侶の声、お経のメッセージが込められているのです。

往生要集(国立国会図書館デジタルコレクション)

現存する「祇園社の鐘」

では、祇園社には実際に梵鐘があったのでしょうか。明治の神仏分離(1871年)により八坂神社が神社となった際、祇園社の梵鐘は京都・大雲院に移されました。現在もこの鐘が現存しています。銘文によれば、鋳造は延徳2年(1490年)。しかし、それ以前にも鐘が存在していたことを示す記録があります。


応仁の乱直前の文明18年(1466年)、祇園社では「多宝塔・鐘楼以外の堂宇を焼失」とあり、鐘楼が焼け残ったと伝えられています。1466年には作り直されるくらい古かったということは、平家物語が成立した鎌倉初期には、すでに祇園社に鐘楼と梵鐘が存在していた可能性が高いといえます。

大雲院の象徴「祇園閣」

「声」としての鐘 ― 身近な音に託された無常観

平家物語の作者が「祇園精舎の鐘」と聞いて想起したのは、遠いインドの聖地ではなく、京都の祇園社で毎日鳴っていた鐘の響きだったのかもしれません。それは、庶民にとっても耳馴染みのある「身近な音」であり、同時に「仏教的真理」を象徴する比喩でもありました。


身近な寺の鐘に無常の理を重ね、さらに「祇園精舎」という異国の名を添えることで、読者を一瞬にして俗界から宗教的な世界へと導く――そうした多層的な文学効果を、鐘の声で表現したのではないでしょうか。

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
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