「べらぼう」な名場面 — 前山後山嶬〻

茶室の掛け軸が語った武士の生き様

大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」も11月に入り、物語はいよいよ終盤戦。今年の大河ドラマは、定番の戦国時代ではなく、江戸中期の“本屋”を主人公に据えた異色のテーマでした。そのぶん新しく知ることも多くて、江戸文化の世界観に引き込まれる魅力的な作品でした。


茶室で対峙した二人──静かな緊張の場面

その中で、個人的に思い出すのは第15話「死を呼ぶ手袋」。松平武元が田沼意次を茶室に呼び出し、徳川家基暗殺の真偽をただす場面です。尋問のような緊張が漂う一方で、ふと視界に入る掛け軸の存在が、この対峙を何やら暗示していました。

茶室に掛かっていたのは江戸初期の臨済宗の僧、江月宗玩(こうげつそうがん、1574–1643)の書――「前山 後山 嶬〻(ぜんざん・こうざん・ぎぎ)」。

直訳すれば「前にも山、後ろにも山。険しい山が幾重にもそびえる」。


武元の一喝──表の山と、奥にある山

意次は自分が謀略にはめられると覚悟した瞬間、武元は静かに、きっぱりと言い放ちます。

「みくびるな。気に食わないとは言え、これを機にそなたを追い落としなどすれば、真の外道を見逃がす事になる。ワシはそれほど愚かではない」

これまでの武元は、足軽から老中に登りつめた田沼意次を何かと見下し、意次の政策にやたらと反対してきた人物。意次はもちろんのこと、視聴者からも嫌われるキャラでした。

この発言で、これまで見えていた武元の人物像の向こう側に別の山が姿を現します。嫌いだからといって、事実ではないことをでっち上げて相手を葬るようなことはしない―その背後にあるのは、「矜持」と「洞察」が混ざり合った、武元なりの判断でした。

掛け軸が示した“重なり”──人物の奥行きを映す

掛け軸の“前山後山”は、まさにその構造を示すメタファーでした。目の前にある山(=武元の表向きの振る舞い)と、その奥に連なる山々(=洞察・矜持・判断)。この短い茶室のシーンで人物を「重ねて」見せてくれました。

山水図 金沢ミュージアム+ 加納探幽 賛 江月宗玩

物語はいよいよクライマックスへ。この先、蔦屋重三郎や喜多川歌麿それぞれの“もう一段奥の山”がどんな景色を見せてくれるのか。あの掛け軸がさりげなく予告していたように、最後まで何が見えてくるか分からない―そんな楽しみを残してくれる名場面でした。

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大河ドラマ「べらぼう-蔦重栄華之夢噺」に登場する梵鐘

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