梵鐘単体の評価
奈良・興福寺:世界遺産の朝を告げる古代梵鐘の響き(国宝)
興福寺は世界遺産「古都奈良の文化財」の主要な構成要素で、1300年の歴史を持つ古都奈良を代表する古刹です。近鉄奈良駅から徒歩5分ほどの立地で、たくさんのお店が並ぶ街の中心地にあるので日中は国内外の観光客でとても賑やかです。人影まばらで鹿がのんびりくつろぐ早朝の境内。5時30分ごろになるとお坊さんがお経を唱えながら境内を廻ります。朝6時の打鍾に合わせて早起きすれば、そんな光景に出会えるかもしれません。
早朝の猿沢池から南円堂、中金堂、五重塔
興福寺の起源は西暦669年、飛鳥に建立された山科寺に遡ります。710年に平城京への遷都に伴い、藤原不比等の計画によって現在の場所に移転し、興福寺と名を改めました。その後も藤原氏の保護のもと、興福寺は発展を続け、天平時代の文化を今に伝える重要な存在となっています。
梵鐘しらべ
時間 | 毎日6時、12時、18時 |
打数 | 6打または12打 |
前捨て鐘 | なし |
実質 | 6 打または12打 |
後捨て鐘 | なし |
合言葉は天平の文化空間の再構築
興福寺は1000年以上の歴史の中で、度重なる火災や戦乱による破壊を経験してきましたが、そのたびにお堂は再建や修復が行われてきました。そのため、現存するお堂の建設時期はそれぞれ異なります。
現在、興福寺では創建当時の天平時代の姿を再現する取り組みが進められています。発掘調査や古文書の研究をもとに、古代の木造建築技法を取り入れた再建工事が行われいて、中心的な中金堂は江戸時代の火災で焼失した後、平成12年から再建が始まり、平成30年に完成しました。
さらに、奈良のシンボルである五重塔も、明治以来120年ぶりに大規模な保存修復工事が進行中です。現在、五重塔は素屋根で覆われており、その姿は見えなくなっていますが、工事は令和13年頃に完了予定です。
日本で二番目に古い1300年前の梵鐘
奈良時代に作られた梵鐘は無銘のものが多いのですが、興福寺の梵鐘は銘文が読み取れるので考古学的な資料としても貴重です。『神亀四年、星は丁卯(ひのとう)に宿る、十二月十一日に鋳る』と刻まれています。神亀四年は西暦でいうと727年、聖武天皇の時代に作られたことが分かります。製作年がはっきり分かる梵鐘としては二番目に古いもので、竜頭と撞座の位置関係からも古代鍾の中で最も古い様式を示しています。
レプリカ梵鐘にも銘文が再現されています
国宝のレプリカ梵鐘が毎日響き渡る
南円堂の隣に位置する小さな鐘楼で打鐘されるこの鐘の響きは、猿沢池から興福寺を望む静寂な朝の風景と相まって、心を洗われるような感覚を呼び起こします。1300年間つづくこの鐘の音は平城京の頃から変わらない街並みに欠かせない要素となっています。興福寺の梵鐘は、その歴史的価値から国宝に指定されていて、現在は収蔵庫にあって非公開となっています。そのため、毎日打鐘されているのは昭和55年に作られたレプリカ梵鐘です。
このように五重塔の全体が見れるのは令和12年ごろ
鐘楼は猿沢池を見下ろす高台に位置しています。ここでは南円堂を管理するお堂守さんが毎日、朝5時57分30秒から50秒おきに6打、正午11時55分から50秒おきに12打、夕方17時57分30秒から6打、打鍾しています。
猿沢池のライトアップは夜の散策コースとしても人気
アクセス
住所
奈良県奈良市登大路町48
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お寺の鐘しらべ管理人
- 東京在住のサラリーマン
- 梵鐘の愛好家
- 出張先や夜時間に梵活中
皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。
しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。
「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。
一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!