上野・寛永寺:唯一現存する江戸の時鐘(日本の音風景100選)

寛永寺は徳川家のブレーンとして活躍した僧侶天海が建立したお寺で、江戸城の鬼門(東北)を守る役割があるといわれています。設置された鐘は四代将軍家綱の時代1669年に鋳造され、1787年に新たに作り直されたものが使用されていいます。この鐘は江戸の町に時刻を知らせていた「時の鐘」の一つとして活用されていたもので、唯一現存しています。戦時中の金属供出についてもこの鐘は撞座の文様が菊花弁だったので対象外とされました。現在も毎日朝6時、正午12時、夜18時の3回、時報として鳴らされています。寛永寺の鐘は環境省によって選定された「日本の音風景100選」に選ばれています。

京都清水寺をモデルにした舞台造りのお堂

寛永寺の境内跡地に上野公園

上野寛永寺は、天海大僧正によって創建された歴史ある寺院です。江戸時代には徳川将軍家の菩提寺として栄えました。歴代将軍の墓所は寛永寺と増上寺が一代ごとに交代で祀られています。広大な境内には数多くのお堂が建立され、多くの信者や参拝者で賑わいましたが、幕末の戊辰戦争において多くの施設が焼失しました。その後、焼け跡は上野公園として再整備され、現在では東京都民の憩いの場として、また国内外からの観光客にも親しまれています。

お花見シーズンは大賑わい

梵鐘しらべ

時間6時 12時 18時
打数6打 12打 6打
前捨て鐘
実質6打 12打 6打
後捨て鐘

東京土産はうさぎやのどら焼き

大正2年に創業した上野公園前の老舗和菓子屋「うさぎや」は、初代が卯年生まれであることからその名がつけられました。

特にオススメは、十勝産の小豆を使用したやわらかな粒餡を含んだどら焼きで、レンゲの蜂蜜が加わることで皮のサクッとした食感とともに、甘美な味わいが口の中で広がります。

お店では常にどら焼きが作られていて、新鮮な状態で食べると普通のどら焼きとは全く別物であることが体感できます。

ホームページはこちら→ うさぎや (ueno-usagiya.jp)

梵鐘ものがたり

上野公園は海外からの客さんにも大人気

松尾芭蕉が詠んだ寛永寺「時の鐘」

旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)

幕府は江戸の町の発展に伴い、時刻を知らせるインフラを整備しました。このシステム、通称「江戸の時の鐘」は、初期には寛永寺から始まり、浅草寺や増上寺の鐘をリレー方式で鳴らし、江戸町内全体に時報を伝える仕組みでした。時代が進むにつれて、システムを構成するお寺の数が増え、鐘の打ち方もより複雑に進化していきました。このシステムはやがて全国的に広がり、例えば大阪においては、鐘が設置されていた場所に「釣鐘町」という地名が今も残っています。

松尾芭蕉は寛永寺から聞こえてきた鐘について、こんな俳句を詠んでいます。

「花の雲 鐘は上野か 浅草か」

もうひとつの上野名物、西郷さん

西郷さんの愛犬ツンは絶滅した薩摩犬

上野公園といえば西郷隆盛像も有名です。明治維新の重要な功労者であり、江戸城の無血開城に大きく貢献したため、当初は皇居近くに像を建てることが望まれていました。しかし、西南戦争では明治政府に反旗を翻したため、「逆賊」と見なされ、その建立には周囲の反感が強かったとされます。その結果、戊辰戦争中の上野戦争で薩摩兵が奮戦したことにちなんで、上野が選ばれました。今日、この像は多くの人々に親しまれ、日本の近代化における彼の役割を象徴する存在となっています。

アクセス

動物園や博物館がある広大な上野公園の中にあるように見えますが、実際は逆で、寛永寺境内の跡地に上野公園が整備されました。

住所

東京都台東区上野桜木1丁目14−11

ホームページ

https://kaneiji.jp

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

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