大河ドラマ「べらぼう」第二十七話「願はくば花の下にて春死なん」
7月13日放送のサブタイトルは、和歌から採られました。下の句は「その如月の望月のころ」と続きます。作者の西行は平安末期の僧侶で、生涯におよそ1500首もの和歌を残した人物です。鎌倉時代の藤原定家にも強い影響を与え、「新古今和歌集」では最多となる94首が採用されています。

歌の意味はそのまんまで、「春、桜の下で死ねたらいい。旧暦二月、満月のころに」というもの。そして不思議なことに、西行は本当に二月の満月の日に亡くなっていて、歌の世界と現実が重なります。
さて、この回の物語は田沼意知、誰袖花魁、そして佐野政言を中心に展開しましたが、全体を通して暗い影が落ちていました。タイトルとは裏腹に、三人とも穏やかな終幕を迎える気配がなく、とくに私と同じ「佐野」という名の政言が流れを追うごとに闇へ沈んでいくのは、見ていて胸がざわつくものがありました。

ところで、西行といえば、お寺の鐘を詠んだ和歌もよく知られています。『古今和歌集』に収められた代表作のひとつが、次の歌です。
「山ざとの 春の夕暮れ きて見れば 入相ひの鐘に 花ぞ散りける」
春の夕暮れ、山里を訪れてみると、入相(太陽が沈む刻)を告げる鐘の音に誘われるように桜が散っていく――そんな情景が浮かびます。平安のころにも夕暮れに梵鐘を撞く習慣があったことがわかります。時刻にすれば今でいう午後六時前後でしょうか。
歌に詠まれた山里がどこなのかは不明ですが、西行は各地を旅し、奈良の吉野にも長く滞在しています。吉野の桜と、古くから大峰の地に伝わる山寺の鐘。その風景を重ねて詠んだのかもしれません。
そして、今回のラストでは、意知が誰袖に贈った一首が紹介されました。
「西行は 花のもとにて 死なんとか 雲助袖の もとにて死にたし」

西行が桜の下の最期を願ったように、意知は「袖」の名を持つ花魁のそばで死ねたら―そんな想いを詠んだ一首でした。
もっとも、ここでの「死にたし」は短命を願う言葉ではありません。長く寄り添った末に迎える最期を、せめて愛する人のそばで迎えたいという静かな祈り。その想いの深さが、逆にこれからの生をより強く照らしているようにも感じられます。
しかし史実は残酷で、この歌がまもなく現実となってしまう。
死は生の終わりではなく、生があるからこそ死が意味を持つ。その逆もまた然り――。
この回の結末は、そんな「生と死の隣り合わせの美しさ」を、江戸の儚い恋のかたちを通してそっと語りかけてくるようでした。
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