代替梵鐘の記憶、「鳴らない鐘」が語る戦後八十年

「代替梵鐘」とは何か?

太平洋戦争では、国家総動員法に基づく「金属類回収令」(1941年公布)が施行され、官民の金属がたくさん回収されました。特に梵鐘は「応召」という形で、人が戦地に行くことと同じ扱い(名誉なこと)で、全国の寺で供出が進みました。宗派調査や研究では、梵鐘の約9割が失われたとされ、平和の象徴とも言えるお寺の鐘が武器に変わる戦争の皮肉は多くの日本人が知るところです。

梵鐘が無くなると別の問題が生まれました。多くの鐘楼は吊り鐘の重量まで含めて設計されていて、重しがないと風や地震に弱くなってしまいます。そこで各地のお寺はコンクリートや石を加工した「代替梵鐘」を吊るし、建物の安定を保ちました。

戦後、物質的な豊かさが戻り新しい梵鐘が作られるようになると、多くの戦時遺構と同じように代替梵鐘は役目を終えて姿を消していきました。今回は都会でわずかに残る「代替梵鐘」を4件巡ります。

① 名古屋・円明寺──「慙愧の鐘」を吊り続ける寺

東区・円明寺の鐘楼には、戦時供出後に石鐘が吊られ、そのまま残されています。昭和17年に梵鐘を失ったお寺は、再鋳の機会があっても石の鐘を降ろしませんでした。そして「慙愧の鐘」と名づけて、戦争の記憶を保つ選択を示します。

② 名古屋・浄信寺──石材が支える鐘楼

名古屋駅から程近い浄信寺では、本堂や鐘楼は残りましたが戦時に梵鐘だけが失われました。鐘楼のバランスを保つため代替として吊るされた石材の姿がいまも確認できます。供出当時の文言として「当寺の常什物たる無漏の梵鐘を大東亜戦の資材に提供し奉らんとなす 国策に即応して皇国仏教徒本務を果遂せんとするにあり」といった奉公の語りが残されています。

③ 埼玉・大應寺──墓地の片隅で眠るコンクリート鐘

富士見市の大應寺には、戦時に吊られたコンクリート製の代替梵鐘が、現在は本堂脇の墓地の片隅に保管されています。このお寺の鐘楼門には宝暦元年(1751年)に作られた梵鐘が吊るされていましたが、昭和17年に供出で失われてしまいました。鉄筋コンクリート造りの代替梵鐘が重しとして吊るされていましたが、昭和46年からは新たな梵鐘が使われています。

④ 東京・中道寺──文化財の楼門と「ひっそり残る」代替鐘

杉並区の鐘楼門(1781年建立)は区指定文化財。ここでも戦時に梵鐘が供出され、のちに新鋳の鐘が掛け替えられました。代替のコンクリート鐘は、いま境内の一角に“ひっそり”と残されています。鐘楼門は梵鐘が2階部分に設置されるので特にバランスが崩れやすく、多くのお寺でこのような代替梵鐘が重しとして使われたそうです。

お寺の鐘しらべ管理人

  • 東京在住のサラリーマン
  • 梵鐘の愛好家
  • 出張先や夜時間に梵活中

皆さんお寺で鐘を鳴らした経験があると思います。お寺の鐘、梵鐘(ぼんしょう)はとても身近な文化です。それぞれの寺や地域の歴史を反映し、豊富なバリエーションが存在します。

しかし最近では騒音問題や人手不足により、その文化は急速に失われつつあります。日々の生活や街の風景が変わる中で、鐘の音は変わらない唯一の文化遺産です。

「お寺の鐘しらべ」では、梵鐘にまつわる文化や歴史を通して、鐘の魅力を発信しています。朝活やお仕事後のひとときに楽しめるプチ旅行の参考としてもご活用いただけます。

一緒に梵鐘を巡る旅に出かけましょう!